長生きは切ない
接種会場の駐車場での喧嘩と、誇らしげに見せる運転免許証の件で、帰宅後も私はイライラしていた。おまけに、その日、父の重要な書類等が行方不明になっていることが判明した。健康保険証、区役所に新たに提出しなければならない口座振替の用紙、銀行印。夜まで探し続けたが、結局どれも見つからない。
元々書類等の整理が不得手な父の部屋は、雑然としている。それを片付けながらの探し物に、私はすっかり疲れてしまった。私がせわしなく動いているのを見て、父はのんきに言う。
「落ち着きのない奴だな。一体何をしているんだ?」
「パパがいろんな物をなくすから、探しているんでしょ!」
「ないものはない。再発行してもらえばいいだけだ」
そう言って、平然としている。なくさないようにすることが最も重要なのに、意に介さない父とは、口を利くのも嫌だった。険悪な雰囲気のまま夕食を済ませ、お茶を飲んでいると、父は寝室の棚の奥から、昔のアルバムを持って来た。私の母と最後に温泉に行った時の写真を見て、父がつぶやいた。
「亡くなったのは49歳だったよな。いいなぁ、若いままの思い出が残っていて。老いた姿を見せなくてすむから、みんなの記憶の中できれいなままだ」
うっ、不意を突かれた。長生きすることの悲哀を感じている父がいる一方で、ワクチン会場のできごとのように、年寄り扱いされることを嫌悪する父もいる。認知症の傾向が表れていても、何もかもわからなくなっているわけではない。症状のムラに、まわりの者は揺さぶりをかけられ、疲れ切ってしまう。
その夜私は、長男に愚痴を聞いてもらいたくて電話をかけた。今日の一連のできごとを黙って聞いていた長男は、私をなだめるように言った。
「母さんは、よくやっていると思うよ。でも、ひとつ聞きたいことがあるんだ……。誰のためにおじいちゃんの世話をしているの?」
「おじいちゃんのために決まっているでしょ。後で後悔したくないし」
「そこが問題なんだよね。後悔したくないから一生懸命にやるって、結局自分が納得するためってことなんじゃないかな?」
痛いところに触れられたと感じた。これからずっとこの難問の答えを、私は探し続けるのだと思う。