人生100年時代。それは喜ばしいことばかりではありません。高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れになる可能性も。自らも前期高齢者である作家の森久美子さんが、現在直面している、93歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづります
忘れたことをとりつくろう父
取材や講演等で出張に行くのが決まると、私は父のカレンダーにマジックで印をつけ、行先も記入する。コロナ禍で出張の回数がかなり減っていたが、2021年秋に東京の緊急事態宣言が解除されると、バタバタと予定が入った。
通いで世話をしている私が行くと、待ち構えていたように父は訊ねる。
「2泊するんだな。何の仕事だ?」
一日に何度も聞かれると、答えるのが面倒になり、私はつい言ってしまう。
「さっきも同じこと聞いたよね。カレンダーに書いてあるでしょ」
父の答えは2パターンある。
「何回聞いても忘れるな。ボケたのかな?」と言われると、父を傷つけている感じがして後味が悪い。しかし、「確かめているだけだ」と言い訳されると、どう返事をしたら良いかわからなくなる。
私はインターネットで認知症の症状を調べてみた。忘れてしまっていることを覚えているかのように言ったり、振る舞ったりするのは「とりつくろい反応」というもので、かなりよくあることらしい。
忘れてしまっていることを気付かれたくないという、父の気持ちが痛々しい。私が父の健康自慢を否定したり、物をなくすことを厳しく注意したりして、プライドを傷つけたせいで、とりつくろうようになったのだろうか。