74年の秋、2人で広島の原爆資料館を訪ねたとき、彼が言ったのです。
「自分は、広島の原爆被害者に比べればまだ幸せだ。私は覚悟を持って戦争を経験したが、彼らは何の前触れもなくいきなり原爆を落とされたのだから……」。
その言葉が、いまでも忘れられません。

また、あるときは、「人間は無欲になるべきだ。戦争は天災ではない。人間の心が起こすものだから、無欲にならなければいけないと思う」と、ぼそっと言ったこともあります。
戦争は国民に大きな犠牲を強いる。それなのに、日本は戦争に負けた。そのむなしさを、身をもって感じていたのではないでしょうか。

発見当時に横井さんが実際に着ていた洋服。襟、ボタン、ポケットまでついている

小動物と一緒の墓に

彼の晩年、妻としてつらかったのは病気です。実は彼は、グアム島で胃潰瘍になっているんです。85年にその部分が胃がんになって、胃の3分の2を切除しました。再発はせず元気になったのですが、2年後、今度は脱腸になって入退院を繰り返し、体力がずいぶん落ちていきました。

そんなとき、私が骨盤を骨折し、東京の病院に3ヵ月も入院することになったんです。急に私と会えなくなった横井は心配して、入院先の病院からこまめに手紙を書いてくれました。結婚以来ずっと一緒に過ごし、私と長期間離れることなんてなかったから、寂しかったと思います。

入院中私は車椅子を使っていたのですが、早く横井に会いに行くため必死に松葉杖の練習をして、3ヵ月後にやっと彼の病室に駆けつけました。でも、目を覚ました横井は、「どこのおばさんかと思えば、お前か」と。(笑)

そのとき彼はすでにモノを食べることができず、点滴だけになっていました。そして13日目。私を見て安心したのでしょうか。それとも、私を待っていてくれたのでしょうか。97年9月22日、横井は亡くなりました。82歳でした。

過酷で数奇な人生でしたが、後半生は好きなことをして静かに過ごすことができたので、幸せだったと思います。亡くなった後は名古屋市内のお寺に、グアム島の小動物の霊を慰める碑と一緒にお墓を建てました。「生き物を殺生して生き長らえた」という思いをずっと抱えていた、彼のたっての希望だったのです。