東日本大震災が起きたときには東京の三鷹市に住んでいた。震災後、住まいを多拠点にしたほうがいいと考え、見つけたのが今住んでいる長野の家だった。

それまで、ネット上でいくつかの物件を見ていたが、どの家も、悪いとは思わないがそこに決める理由も見つからなかった。今の家は、池の畔というロケーションに惹かれ、遊びがてら見に行ってみたら、リビングからの眺めがすばらしく、即決してしまった。

定住するつもりはまったくなかった。その頃はコロナ以前で、私も夫もまだ東京での仕事があったので、2、3週間滞在して東京に戻っていた。けれども次第に、戻りたくなくなってきた。

ある滞在中、買い物に出かけた帰り道のことだった。

スーパーマーケットがあるいちばん近い町までは、車で片道20分ほどの距離がある。そのとき車は、はてしなく広がる田んぼに沿った道を走っていた。田んぼと空の境に八ヶ岳が見えた。私は今、ものすごく美しいところにいる、と思った。それは不思議な瞬間だった。

別荘を買って数年が過ぎ、すでに見慣れた道だったのに、その感動は突然、びっくりするような強さで私を見舞ったのだった。あれが何だったのか、今もよくわからない。でも、その頃から、こちらへの移住を考えはじめたように思う。

そのあと、コロナのパンデミックが起こった。私の夫は高齢者である上に、軽い肺疾患の持病があって、ハイリスク者だ。それで、なるべく東京にいなくてすむように、仕事を調整していった。コロナは、移住の理由ではないと思っているけれど、追い風にはなったかもしれない。