三鷹の家は都内としては緑が多いところにあって、駅から遠かったけれど、それでも5分も歩けばコンビニがあった。
コロナ以前には、取材や打ち合わせ、会食などで、月に数回は都心に出かけていた。仕事でなくても、友人たちと誘い合って食事したり飲んだりすることも多かった。もちろん、映画も展覧会も、時間さえやりくりすれば観たいものを観に行けた。
長野に移住するということは、こういう日常を失うということだ。大丈夫だろうかと、最初は心配していた。でも、案外、大丈夫である。
まずは、基本的にインドアな自分の性質と、夫との相性がある。彼とふたり24時間家にいることに、まったく苦痛を感じない。その上、窓から見える景色がひらけているし、小鳥や鹿やリスがときどき横切るので、こもって仕事をしているときのストレスは東京にいるときよりもたぶん少ない。
気の利いた飲食店は少ないし、そもそも店の数が少ないのだが、そのかわり、スーパーマーケットの食材が充実している。
信州産の精肉、石川県から届く魚介類は、東京のスーパーで手に入るものよりも間違いなくおいしい。近隣の畑で採れた野菜を食べると、野菜のおいしさというのは鮮度だなあとしみじみ思う。季節ごとの山菜やキノコなども豊かである。
最寄駅から新宿までは電車で約2時間。夫が運転する車で、都心部までは約3時間。気軽に、というわけにはいかないけれど、日帰りもできる距離だ。
たとえば、東京にいるときには月に4回程度あった会食が2回になってもいいのではないか。自分の年齢のこともある。数年前から、連日の飲み会は胃腸的につらくなっていた。これからもっとそうなるだろう。本当に会いたい人に、本当に会いたいときだけ会いに行くというライフスタイルが、これからの自分にはむしろ合っているようにも思う。
――と、あれこれ書いてみたけれど、ようするに私は長野での暮らしを選んだということだ。これまで東京暮らし一択だった自分の人生に、もうひとつの選択肢があらわれた、それが私にとっては驚きであり、重要なことであった気がする。