「あと何年」という歳だからこそ、妥協のない場所で過ごしたい。作家の井上荒野さんがそう思ったのは、60歳のときのこと。田舎暮らしには無縁だった夫婦が感じた、都会にいるときには知らなかった嬉しさとは(イラスト=堀川直子)
雪が解けたので散歩を再開した。
現在、私と夫が住んでいるのは、八ヶ岳西麓、標高1500メートルの場所である。この辺りは降雪量はさほどではないのだが、気温が低いので、一度積もるとなかなか解けない。それがアイスバーンになるので、冬期の散歩はスリリングすぎるのだ。
雪はまだ土の上にところどころ残っているが、道はもうすっかり乾いているから、スニーカーですたすた歩ける(雪が積もっている間は、車で出かけるときでもスノーブーツを履いていた)。気温は東京よりだいたい10度低いから、4月になってもダウンジャケットが必要だったりするけれど、空気には春の気配がある。
とにかく、ずっと白一色の世界だったので、土の色が見えるだけでも嬉しい。冬の間できなかった散歩ができる、ということ自体が嬉しい。こういう嬉しさは、東京にいるときには知らなかった。
散歩は、長野に来てから日課になった。朝食後、家がある別荘地内を、日替わりでコースを替えて1時間程度、夫と歩く。大した距離にはならないのだが、アップダウンがあるのでそれなりに運動になっている(と信じている)。
どの季節にも、歩くたびに発見がある。山の色が昨日までとは違うとか、昨日は咲いていなかった花が咲いているとか。いちいち嬉しくなり、そういう自分がつくづく不思議になる。
私たち、なんでこんなところにいるんだろうねえと、何度でも夫に言ってしまう。田舎暮らしには無縁のタイプであるとずっと自認してきたし、長野にも八ヶ岳にも、もともと縁もゆかりもなかった。