貧乏のどん底から、俳優養成所へ
役者生活70周年を記念する仲代達矢さんの舞台は、松本清張原作の『左の腕』。自ら主宰する無名塾で育て上げたお弟子の役者たちに交じって、陰のある飴細工売りの老人を演じるその立ち姿は、誰よりも華があり、時に色っぽくさえもある。
その昔、六本木の俳優座劇場での翻訳劇で観た、ちょっと鼻にかかった「ハハハーン」と尻上がりになる仲代流の笑い方も聞けて、その健在ぶりが嬉しかった。
――いやぁ、今年の12月が来ると90歳ですからね。まあ声だけはどうにか出るんですが、舞台を離れると杖こそつかないですけど、おぼつかない足取りで。
まわりからは、もうそろそろ引退ですか、って訊かれるんですが、まだ精神的にも肉体的にもどうにかやってるんで、引退興行と銘打った公演はしたくない。『左の腕』の次は、この秋に『いのちぼうにふろう物語』を能登演劇堂限定で上演しようと思ってます。これは亡くなった女房(宮崎恭子さん)の作品ですし、僕にとって非常に思い入れの深い芝居ですのでね。
仲代さんは十代の終わりまではとても苦労した、と前に伺った。そこから現在に至る役者の道に入るキッカケを作る、第一の転機が、アルバイト先の競馬場でちょっといかれたお兄さんに出会ったこと?
――ええ、そうですね。親父は早く亡くなって、母親がわれわれ四人の子供を育ててくれたんですが、貧乏のどん底で、いろんなアルバイトをしました。あるとき大井競馬場で出会ったその堅気ではないお兄さんが、「お前は顔が役者向きだから、役者になったらどうだ」と言って、俳優座養成所の受験料2000円をポンと出してくれたんです。
あのころ僕は欧米の映画を、三食を一食に減らしても観て歩いていて、プログラムは必ず買っていたんです。そこでアメリカにはアクターズ・スタジオというものがあって、有名な俳優がいろいろ出てる、ということを知りました。すごいな、と思って、当時、日本に唯一あったのが俳優座の養成所で、そこを受験して、たまたま入れた、ということですね。