ひばりさんが生前座っていたリビングのソファの前で。「東京目黒 美空ひばり記念館」(東京都目黒区青葉台1-4-12)は7月9日(木)より再開した。平日10時〜15時(最終受付)入場無料

レコード会社に借金して相続税を払う

おふくろが52歳の若さで亡くなったのは1989(平成元)年、バブル経済の真っただ中でした。現在記念館になっている自宅は都内の一等地にあり、土地は約170坪。「ひばり御殿」と呼ばれていた立派な家です。相続税はその時の路線価に応じて算出されるので、相当な額でした。

そのほかに、ハワイと山梨県・富士山麓の鳴沢に別荘がありました。私がそれらを相続したのは、17歳の時。これから社会勉強しなければという年齢です。

今の日本の税制だと、相続した不動産を売って現金化しないと相続税が払えないことはよくあり、うちも例外ではありませんでした。「これを売れば一生食べていける」とも思いましたよ。でも、やはりそれはできませんでした。私は、おふくろが残したものは全部とっておきたかった。美空ひばりが生きてきた証でもあるし、ファンの方々にとっては一種の“聖地”だと思ったからです。

それに、家には住み込みでおふくろを支えてくれた女性が3人います。そのうち2人は、僕が生まれる前からいてくれた方。いきなり「家を売るから出ていってください」とは、とても言えません。ちなみにその3人は、今も記念館で暮らしています。

ひばりプロダクションには定年制がないので(笑)、一番年上の方はおふくろと同い年で83歳、一番若い方で70代です。

結局、相続税を払うために日本コロムビアにお金を借り、歌唱印税と相殺していただくことに。でも作詞・作曲をしているわけではないので、死後にいただける歌唱印税はそう多くなく、完済まで20年かかりました。

歌い手の場合、本人が生きていればコンサートなどの営業収入がありますが、それもありません。一方で、固定資産税もバカにならないし、建物の維持費もかかります。庭も月に1度は造園の方に手入れをしてもらわないと荒れてしまう。

不動産は売却しない限りお金を生まないし、むしろ出ていく一方。それに、住み込みの方々のお給料のほか、生活費も必要です。正直、苦しいですよ。