「あのとき先生のアドバイスを無視していたら、いま私はこの世に存在していなかったかもしれません」(生稲さん)撮影:藤澤靖子
かつてアイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして活躍、2022年参議院選挙で自由民主党から立候補、初当選を果たした生稲晃子さん。厚生労働省「がん対策推進企業アクション」アドバイザリーボードのメンバーで、がん対策推進企業アクション女性会議「Working RIBBON」のオフィシャルサポーターを務めています。自身の乳がん経験と家族の支えについて語った『婦人公論』2019年7月23日号の記事を再配信します。


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乳がんを発症してから4年8ヵ月の間、公表をせずに、治療をしながら仕事も育児も続けていた生稲晃子さん。外では笑顔でいる反面、内心は落ち込むこともあったそう。いちばん近くにいる家族はどんな存在だったのでしょうか(構成=丸山あかね 撮影=藤澤靖子)

人間ドックへ行ってみたら

最初に告知を受けてから、8年あまりが過ぎました。現在もホルモン治療を続行中ですが、おかげさまで元気に過ごしています。

日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人が死に至ると言われているのに、多くの方が、自分に限っては大丈夫だと考えてしまいがちですよね。私もそうでした。とはいえ一応検診を受けておこうかぐらいの気持ちで、毎年、区の無料検診には行くようにしていたのです。

ところが2010年は本当に忙しくて……。家事と仕事の両立に加え、娘の保育園の送り迎えや、経営する鉄板焼きのお店での接客、さらに義父に悪性リンパ腫が見つかるという深刻な事態も重なり、区の検診を受けそびれてしまいました。

この話を知り合いの医師にしたところ、人間ドックを勧められ、年をまたいだ1月に実行。正直、面倒くさいなと思ったのですが、あのとき先生のアドバイスを無視していたら、いま私はこの世に存在していなかったかもしれません。

3月半ば頃だったでしょうか。医師より連絡を受けたという夫から「親父だけじゃなく、アッコもらしいよ」と、まさかの自宅内告知。その後、医師から正式に告知を受けました。

もちろんショックでしたが、その実、私自身はあまりピンときていませんでした。おそらく自分の父親と妻が同時期にがんを患うという状況になった夫のほうが、落胆が大きかったのではないかと思います。

あるとき夫が誰にともなく「俺が悪いのかな」とつぶやきました。私はその言葉を聞いて、「申し訳ないことになってしまった」と、事の重大さを痛感したのです。でも夫が後ろ向きな言葉を口にしたのは、後にも先にもこの一度きりでした。

8ミリ程度の小さな腫瘍でしたので、5月に乳房温存手術をして、7月に再発を防ぐため放射線治療を受け、8月からホルモン治療を開始し、これで片がついたと思っていたのですが……。

翌年、再発してしまいました。ただ前回と同様に早期発見、大きさも1センチ以下でしたので、部分切除で対処できるのは不幸中の幸いだと、ポジティブにとらえて乗り切ったのです。

でもまたその翌年の2013年11月に再々発したと知らされたときは、ショックが大きくて。「また?」と思うのと同時に、自分の人生が厳しい局面を迎えていることをハッキリと認識したからです。

今度は右乳房の少し奥に見つかったということで、主治医から「もし、次にまた同じようなことがあったら危険です。まず腫瘍を取りますが、この手術が最後だとは思わないでください」と告げられてしまい……。このとき初めて、「私、死ぬかも」とリアルな恐怖に襲われたのを覚えています。