1958年、劇団「笑う仲間」の研究生として浅草・松竹演芸場で初舞台を踏んだとき(写真提供:伊東さん)

てんぷくトリオのメンバー、戸塚睦夫は1973年に42歳で、また三波伸介は82年に52歳で病没する。それが伊東さんの第三の転機につながるのだろうか。

――いや、まだですね。三波は生まれながらのリーダー気質で、自分が一番上に立たないとおさまらないタイプ。生前、てんぷくトリオをもっと大きく、一座にしたいと言ってましたね。

三波が52、石原裕次郎さんも、美空ひばりさんも52で亡くなってるので、私も52のときはかなり意識過剰になりました。

まあ、いろんなことがありましたけど、第三の転機と言えるのは、劇作家の三谷幸喜さんに出会ったことじゃないでしょうかね。大変な人に会ったな、と思いました。

それはあるテレビドラマに、佐藤B作率いる劇団東京ヴォードヴィルショーの石井愃一という役者と一緒に出ていたときのこと。

撮影の合間に、「伊東さん、今度うちで明治ものの芝居やるんですけど、伊藤博文の役がちょうどいいと思うから出てくれませんか? 忙しいから駄目でしょうね。駄目ならB作がやるんですけど、その役は」「あんた、あんまりだよ、その誘い方は。でも誰が書くの?」って訊いたら三谷幸喜さんで、今、渋谷のパルコ劇場で『12人の優しい日本人』をやってる、と言うから観に行ってみました。

そしたらこれが、石坂浩二さんの演出・主演で僕らがやった『12人の怒れる男』のみごとなパロディだったんですよ。へぇー、こんなこと書ける人がいるんだな、じゃあその伊藤博文やってみようかな、となったんですよ。

実にうまく出来た芝居で、『その場しのぎの男たち』(92年)というんですけどね。B作さんは陸奥宗光に回ってくれて、それが初共演です。