“期待”という見えない呪縛

しばらくすると周りが騒がしくなった。次々に取材がセッティングされ、記者会見の頃には記録樹立の興奮も冷め、お腹が空きすぎて心ここにあらず状態。そのせいか、大記録を出したのに、受け答えがクールだという印象を持った人もいたみたいですね。そもそも、どんな記録でも僕はそれに満足したことは1度もないし、喜びはレースが終わった瞬間に終了。翌日からは、次なる記録更新との闘いが始まるんです。

もちろん世間から大きな注目を浴び、メディアからの取材も殺到しましたけど、環境の変化に戸惑うことはそれほどありませんでした。それは、高校3年の時の織田記念大会後に、環境が変わった経験があったから。

織田記念の記録は、9秒98以上に「あれ、出ちゃった」感が強かったタイムです。高校2年の時に17歳以下の世界記録10秒19を出してから、少しずつ注目されるようにはなっていましたけど、10秒01は当時歴代2位の記録でした。まだ高校生だったので期待感が高まったんだと思います。連日マスコミに取り上げられたために顔が知られてしまい、通学路や電車で声をかけられるのにはなかなか慣れませんでしたね。

特に地元・滋賀県彦根市から高校(洛南高校)がある京都までの1時間半は、早朝5時に電車に乗る僕にとって貴重な睡眠時間。でも、声をかけられれば眠ることもできない。まだ学生だったから、笑顔が強張っていたんじゃないかな(笑)。

ただ、「滋賀4人組」と言われ、通学電車が一緒だった仲間3人が、さりげなくガードしてくれたり、僕の名前を違う呼び名で呼んだりして気遣ってくれた。高校の先生や友人らも普段と変わりなく接してくれ、いい高校に入学したと、あの時はつくづく周りに感謝しましたね。

その一方、10秒01から9秒98までの4年間が、僕にとっては厳しい時期でした。平均すると10秒2台。なかなかそれを超えられないという日々が続いたんです。

ただ、世間はそれを許してくれなかった。いくつもの大会で優勝しても、10秒を切らないと会場からため息が聞こえてくるし、報道陣にも「調子が悪いんですか」と尋ねられる。

自分ではプレッシャーに強いと思っていたけど、周りの期待感で徐々に自縄自縛に陥っていたのかもしれません。だから17年の日本選手権で4位に沈んだ時は、情けなくて悔しくて、競技場の壁に向かって嗚咽を漏らしてしまいました。

でも、その時に改めて思ったんです。僕がやっているのは所詮「かけっこ」。楽しくやらないとかけっこじゃない、と。その時すっと“期待”という目に見えない呪縛から解放された気がしました。