家では陸上の話はしません

桐生選手は滋賀県彦根市で生まれた。サラリーマンの父、専業主婦の母、4歳上の兄。かつて琵琶湖近くにある桐生選手の自宅を訪ねたことがある。玄関に、小石や松ぼっくりなどでデコレートされたオブジェがぎっしり並べられていた。母が、息子たちが遠足などから持ち帰った思い出の品を形にして残しておいたのだと言う。

その一方、数えきれないほどあるはずのトロフィーやメダル、顕彰類が一切見当たらない。両親がいかに丁寧に家族の時間を重ねてきたか、部屋の空間が如実に物語っていた。


 

家では陸上の話はしませんね。親や兄から聞かれることはないし、僕が取り立てて言うこともない。この家族だからこそ、僕は陸上を頑張ろうと思うし、結果をとやかく言うような親であれば、とっくに陸上をやめていたでしょうね。

幼い頃から僕の遊び相手はいつも兄とその友達。子どもの頃の4歳差は体格的に大きなハンディがあるんでしょうけど、とにかく僕は同級生ではなく、兄たちと遊びたかった。それが結果的に僕の運動能力の向上に繋がったのかもしれません。

小学生まではサッカーでゴールキーパーをしていました。陸上は中学に入ってから。兄と同じ道です。でも、中学2年の時に腰椎離骨折、肉離れ、足首の怪我にいっぺんに襲われ、きつかった。それでも家族は、「陸上をやめろ」とも「頑張れ」とも言わず、自分の判断を黙って見守ってくれていました。

高校は朝練があるため、始発に乗らないと間に合わない。朝は父が自宅から駅まで車で送ってくれ、夜は母が迎えに来てくれました。その頃の母は大変だったと思いますね。朝4時に起きて僕らの弁当を作り、夜は父も兄も帰りが別々なので、そのたびにご飯を作っていました。それでも母は、一度も寝坊したことがなかったんです。

そんな家族だから、僕が注目を浴びるようになっても、一切表に出てきません。極端な話、僕が明日「陸上をやめる」と言っても、「自分でそう思うならいいんじゃない」と、次の話題に移って笑い合っているような気がします。