それから彼の学校探しが始まった。本当は現地の公立小学校に入れたかった。現地で揉まれたらきっと目覚ましい成長に結びつく。でも夫は大反対だった。おとなしいタイプの息子は英語に慣れることができないのではないか?と。さらに「10歳までに英語の発音を」とアドバイスしてくれた男友達からは、「最初の半年は英語が話せず孤独になる、聞きなれた頃にアメリカを離れると、英語が嫌いになるかも」と言われた。滞在期間はフルブライトとの取り決めで7ヵ月以上は伸ばせない。

仕方なく、日本人学校を探すことになった。私はコロンビア大学に留学予定なので、住まいはマンハッタンにしたい。自ずと行ける学校は絞られた。先方に連絡を取り、面接をし、なんとか入学の方向で話がついた。コロナでいつ渡米できるかわからなかったが、真摯に対応してくれる良い学校だった。

息子に「日本語がメインで、英語を2割くらいだけ勉強する日本人学校に行くよ」と伝えると、かなり安心した様子だった。きっと、シャイな彼にいきなりアメリカンな雰囲気は難しいから、これでよかったのだ。息子と私は違う人間なのだから、自分の基準を押し付けるのはダメだ、と改めて反省した。夫の判断が正しかったと思う。

後は家を決めなければならない。私たちの米国滞在は7ヵ月だ。家は1年単位でしか借りられないため、エアビーか、マンスリーマンションしかないとわかった。ニューヨークの家賃は信じられないほど高かった。東京の六本木で家を探すようなものだ。治安が悪いから優先すべきは安全だが、安全な地区は高い。予算内で探さなければと血眼になって住宅サイトを見ていたら、日系の不動産会社が経営している1LDKのマンスリーマンションが見つかった。場所は国連の近く。治安はいい。子どもは10歳だから本当は2LDKが欲しいところだが贅沢は言えない。かろうじてオートロックだが、憧れのドアマンはいない、地味なアパートだ。でも、ここは我慢。とにかく予算ギリギリで、物件をおさえた。

そして迎えた2022年1月。子どもの学校、家も決まり、ビザも取得し、ワクチンも打ち終えて、2年遅れで渡米できることになった。しかし胸躍らせて渡米した私たちを待っていたのは円安だった。家探しをした頃は1ドル110円だったが、渡米後の2月には130円の超円安に。予算ギリギリで確保した家は、気がつけば予算をはるかに超える金額になっていた。

もう渡米してしまったし、キャンセルできない。チャリン、チャリンと恐ろしい音を立てながら貯金が減っていく。でも、50歳の子連れ留学、後ろは振り向かない。帰ったらまたがむしゃらに働こう。泣きそうな心をなんとか平常心にたもって、私たち家族のニューヨーク生活は続いていく。