僕の周囲も、すぐに好き勝手なことを言い出しましたね。この水を飲んだら助かるとか、壺が届いたこともありました。がん封じのお守りも同じものが8個。「患部に貼るとよくなるよ」と口を揃えるけど、僕は血液がんだから一体どこに貼ればいいのか……。(笑)

大切な人が病気になるという理不尽を前に、何かに頼りたくなるのでしょう。最初は僕もすべてに「ありがとう」と返事をしていたのですが、 “善意の押しつけ”はどんどん増えていくんです。相手はよかれと思ってするのだろうけど、言われることを全部聞いていたら大変なことになると、恐ろしくなりました。

 

見舞いを望む母の申し出を断って

日本の医療現場では、終末期のがん患者の治療の選択は、基本的にその場に立ち会っている家族の意見が優先されます。多発性骨髄腫は最期が凄絶だと言われていますが、僕はそんな状態なら延命治療も心臓マッサージも受けたくない。意識があればもちろん断りますよ。でも、そうなったときにはすでに意思すら伝えられなくなっているでしょう。

患者が望む最期と、家族が望む最期は違います。いくら妻が僕の気持ちを尊重してくれても、親や親戚が「奇跡を信じて、やれることはなんでもやってもらおう」と言ってきたら、妻の決心は揺らぐかもしれない。僕が死んだあと、妻が変な後悔を背負わずにすむよう、死に際にはよほど信頼できる人以外病院に呼ぶまいと思っています。だからそれまでに、僕自身の手で人間関係を整理することが必要だと痛感しました。

実は、がんになってから母とのつきあいを絶っています。母は、いわゆる「昭和的な価値観」を押しつける人。もともと子どもの気持ちを汲みとってくれる親ではありませんでしたが、18歳で父を亡くしてからというもの、僕がうまく立ち回ることでかろうじて、表面的な親子関係を保ってきました。

でも病名を打ち明けたその日、怒りの表情をあらわにした母は、そのまま何も言わずに立ち去ってしまった。元看護師なのでどんな病気か理解したものの、息子ががんになった事実は受け入れられなかったのでしょうね。