若い時に活躍していても、晩年に不幸だった女性作家をたくさん見てきました。先生が、第一線で書き続けていらっしゃることは、私たちの希望です。週刊誌の連載に、「103歳までは生きている気がする」って書いていらっしゃって。103歳まで書いてくださるのだと思って、嬉しかったんです。

瀬戸内 この調子なら、書ける。書くことはまだまだいっぱいありますから。

 先生も原稿は手書きで書かれますよね。漢字はすぐ出てきますか。

瀬戸内 辞書なんて引いたことないですよ。まあ、人の名前や固有名詞は出てこないけれど。「ほら、あの人」「あれ、あれ」って(笑)。でもね、歳をとったなあって思うのは、そういうことではない。やっぱり体です。肉体の衰えは感じます。

 

作家になることを夢見ていた母

 4年前に101歳で亡くなった私の母も、先生のことを心の支えにしていました。

瀬戸内 真理子さん、あなたのお母様のこと、聞きたかったのよ。お会いしたかったわ。お母様は、作家になりたかったのでしょう?

 そうなんです。母は、終戦直後に創立された神奈川の鎌倉アカデミアという学校に行きたかったのに、祖母に反対されたそうです。「行っていたら真理ちゃんよりすごい作家になっていた」って。97歳の時、初めて告白されました。

瀬戸内 長く介護をされたんですよね。

 15年間、山梨の実家に毎週通っていました。往復3時間です。ベッドから落ちて骨折して以来寝たきりになり、最後は施設に。東京にいた弟が、会社を早期退職して世話をしてくれていました。母はクロスワードパズルをしたり短歌を読んだりして、一所懸命ボケないようにと頑張っていましたが、やはり寝たきりで100を超えると……。

瀬戸内 しっかりしたお母様だったのね。