努力が報われたかより、努力しきったことが素晴らしい
数々の名言を残してきた彼の言葉の中で一番印象的だったものがある。
3度目のオリンピックとなった北京五輪で、4A(4回転アクセル)に挑戦した後の言葉である。
「正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないけど。確かに、SPからうまくいかなかったけど。むしろ、うまくいかないことしかなかったけど、一生懸命頑張りました」
THE ANSWER『4位羽生結弦の「報われない努力」コメントにネット涙「胸がいっぱい」「そんな事ない」』より
「報われない努力」
キングオブアイスであり、66年ぶりとなる五輪連覇を果たし、世界最高得点を何度も更新した、いわば一番結果を出してきた人物だと思う。
そんな羽生結弦が、報われない努力もあるということを示唆する言葉を残した。
これは歴史に残ることだと個人的には思う。
メディアは、本当に行き過ぎたポジティブ信仰なところがある。
「努力は報われる」とか、「叶わない夢はない」とか、そういうストーリーに持っていきたがる。
メディアに取り上げられるような、一握りの成功者は確かに努力が報われ、苦労が結果となって実を結んだのかもしれない。
しかし、現実はどうだろう。努力がかたちにならないことなんて、生きていればいくらでもある。
夢だって叶うことのほうが珍しいのではないか。
何十年越しの悲願が叶わなかろうが、途方もない苦労がまったく報われなかろうが。
「それでも、現実は続いて行く」
多くの人にとって、キラキラポジティブストーリーよりも、そういう泥臭い現実の方がよほどリアリティがあるし、その中でも生きる姿こそ胸に迫るものがある。
報われない努力だってある。でも、それは悪いことだろうか。報われるかどうかはuncontrollableなこと。でもそこまで努力しきったことは、だれが何と言おうと素晴らしいことなのだと思う。
報われなかったことをまず認め、そこからどうやって生きていくのか。そこにこそ、人の真価が問われるような気がする。