好感度の代名詞のような人でも悪く言われる

「僕がフィギュアスケートの中に感情をのせられるのは、これだけ4歳から積み重ねてきた基礎だったり、技術だったりのおかげなので、もちろん心が壊れてなくなりそうなことは多々ありますけど、今も。だけど、スケートやってて、皆さんにみてもらうのはやっぱり楽しいなって。でもそれまでの過程は辛いし、過程の中で自分が言葉を発せられない中で何か言われてしまうのは、何も反論できない状態で傷ついたりするのがやっぱり一番きついですね」

デイリースポーツ 『プロ転向の羽生結弦 松岡修造にきっぱり「テニスで40代でめちゃくちゃ強い人いるじゃないですか」』より

彼ほど好かれ、完璧と言われる人気者でも、孤独に言い知れぬ苦しみに耐える時があって。
そして、それを表現へと昇華している。
その事実に、また勇気づけられ、慰められた人もきっと多いのだと思う。
私もまたその一人である。

彼ほどあらゆるものに恵まれ、努力し、誠実に生きる人であっても。好感度の代名詞のような人であっても。悪く言われる。
ならもう誰だって悪く言われちゃうよね、もう。と、なんだか吹っ切れたりした。

そして、非常に遠い、異次元の存在である羽生結弦も、私たちと同じ人間で、苦しいことも悔しいことも悲しいこともある。そんな毎日を生きているのだ、と知ったのだった。