依頼が増えてもそこからの収入はほぼゼロ
サービスを始めた当初は依頼もまばらでしたが、Twitterへ投稿するうちに面白がってくれる人も増えてきて。1日に数十件の依頼が届き、1ヵ月先くらいまでの間で日程を調整している状態です。1件にかかる時間にもよりますが、現在はほぼ毎日3~4件の依頼を受けてまわっています。
僕はこのサービスを「仕事」と呼んでいますが、「料金を取っていないから仕事じゃないでしょ」という人もいる。諸経費はもらってもサービスそのものへの対価を受けとっていないので、どんなに依頼が増えてもそこからの収入はほぼゼロ。
本を出したり、取材の謝礼、あとはサービスの依頼者から「何となくお金をあげたくなったから」と投げ銭のようなものを時々もらったりもしますが、基本的には貯金を取り崩して生活しています。
毎日やることはあるわけだから、「無職」と言われると、ちょっと違うと思う。かといってボランティアのような格好いいものでもない。ある種の社会実験というか、趣味というか、見る人によっていろんな受けとめ方があっていいのです。
ただどう説明しても、理解してくれない人はいます。35歳という僕の年齢や結婚して1歳の子どもがいることで、「家族がかわいそう」と批判を受けたりもする。今でこそ何も言われませんが、サービスを始めた当初は僕の親にも、「失望した」「なんで普通に働けないの」といった言葉をかけられました。
そうまでして、なぜ無料のサービスにこだわるか。それは、お金を払うことによって、依頼する人に「消費者スイッチ」が入るのを防ぎたかったからです。何かにお金を払うと、僕らはどうしてもそれに見合ったリターンを期待してしまいますよね。1000円なら1000円の価値を求めるし、なんならもっと得したくなる。お金を受けとる側も、少ない時間や労力で済ませたほうが割りに合うと、セコいことを考えてしまう。
僕に依頼をしてくれる人は、無料で僕の時間を拘束しているという気遣いからか、Twitterに投稿されたときに読む人が面白がるようなユニークな依頼をしてくる人が多いのです。
また僕のほうでも、無料だからこそ全力で「なんもしない」というサービスを提供できる。もし料金をもらっていたら、何か余計なことをして相手を怒らせてしまったり、期待はずれだとがっかりさせていたかもしれません。
なぜそんなふうにネガティブに考えてしまうかといえば、これまでの人生で僕は、「なんかする」ことで相手を失望させることばかりしてきたように思うからです。