消化器外科医・温泉療法専門医であり、海外も含め200カ所以上の温泉を巡ってきた著者が勧める、温泉の世界。安心して、どっぷりと浸かってみてください。
※本記事は『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』
(佐々木政一、中央新書ラクレ)の解説を再構成しています
源頼朝・源実朝
伊豆山(いずさん)温泉(静岡県熱海市伊豆山)
静岡県熱海市の伊豆山神社周辺に伊豆山温泉がある。
『鎌倉實記(じっき)』に、「尋常の出湯に非ず、一昼夕に二度、山の岸の窟の中に火焔(かえん)の隆(りゅう)に発(おこ)りて出ず。其温泉甚だ燐列し。沸湯を鈍らずに桶を以てし湯舟に盛りて身を浸せば諸々の病悉く治す」と書かれているように、かつては横穴式の洞窟の中から源泉が海岸に走るがごとく飛び散り、滝のように海に流れ落ちていた。これが「走り湯」と名が付いた所以である。現在も源泉はこの洞窟の奥にある。
伊豆山温泉の「走り湯」は、7世紀末に役(えん)の行者小角(ぎょうじゃおづぬ)が海岸から五色の湯煙が立ち上るのを見て発見したという伝承があり、小角はこの付近に草庵を結び、修行をするようになった。修行を始め、湯滝を浴びた時、「無垢霊湯、大悲心水、沐浴罪滅、六根清浄(無垢の霊湯、大いなる慈悲の水、沐浴すれば罪が滅び、六根[眼、耳、鼻、舌、身、意]が清らかになる)」と書かれた金色の文字が湯の上に浮かんだと言われている。
治承4年(1180)、源頼朝が源氏再興の旗上げの際、伊豆山神社に祈願し、この温泉で身を浄めて出兵している。
また三代将軍で歌人でもあった源実朝は『金槐和歌集』の中に「走湯山(そうとうさん)に参詣の時の歌」と題して
「わだつみの中に向かひて出(い)づる湯の伊豆の御山(おやま)とむべも言ひけり」
「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神の験(しるし)なりけり」
「走る湯の神とはむべぞ言ひけらし早き験のあればなりけり」の3首の歌を残している。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐により、伊豆山は焼け野原となり、温泉も草葺きの仮小屋となった。その上、江戸時代には、徳川将軍家の湯治場として熱海温泉が保護されたため、伊豆山温泉はその繁栄を熱海温泉に譲った。しかし、依然として大名や歌人たちが伊豆山神社の参詣の後で「走り湯」に入浴することも多かったという。
「走り湯」は往時には一日に7000石(こく)(約900リットル/分)もの湧出量を誇っていたが、周辺の源泉乱掘のため170リットル/分まで減少。
周囲には源頼朝と北条政子のロマンスを伝える「伊豆山神社」「腰掛石」「逢初(あいぞめ)橋」や「走湯(はしりゆ)神社」など、名所・旧跡も多い。