能員は「ジャージ姿」で乗り込んだようなもの

さて、ドラマの第31回ではついに比企能員が討たれましたね。この事件については、どうにも分からない重大な謎があるのです。

「関西の地頭を頼家の弟・千幡に、関東の地頭を一幡で分ける」という北条の策略を娘の若狭局(頼家の妻妾)に密告する能員。『少年日本歴史読本. 第拾參編』(編:萩野由之/博文館)より。国立国会図書館デジタルコレクション

源頼家が病に倒れて、意識が戻らない。彼の後継を巡って、北条時政と比企能員は激しく対立します。この状況下、時政が自邸に能員を招く。

どう考えてもワナですよね。それなのに、能員はろくなボディガードも連れずにのこのこ出かけていき、案の定、殺害されてしまった。ちょっと信じられない。それでも、戦いに命を懸ける武士か!

でもこれ、幕府の歴史書である『吾妻鏡』に、まさにそう書いてあるのです。

能員は「平礼烏帽子」をかぶって時政邸に赴いた。「平礼」はひれ、と読む。

ノリのついてない、なよっとした烏帽子。外出用ではなく、普段使い。当時のファッションで、烏帽子は最重要アイテムです(博打うちがすってんてんになったときは、ふんどしは取られても、烏帽子は死守します)。

衣服とトータルでコーディネイトしていましたから、平礼烏帽子を選択した能員は、例えばジャージ姿で敵の本拠地に乗り込んだに等しい。

そんな馬鹿なことはないだろう、と思いますよね。ところが、証拠があるのです。