2年半ぶりにイタリアの我が家に帰ったというマリさん。何も変わっていない街の佇まいや、イタリア家族の猛烈っぷりに圧倒されながら感じていたこととはーー。(文・写真=ヤマザキマリ)

2年半ぶりのイタリア

ロシア上空を避けた飛行ルートで、いつもより時間をかけて息子とともに戻った2年半ぶりのイタリアは、何も変わっていなかった。

空港内を見渡してもマスクをしている人は一人も見当たらず、2020年の春、パンデミック初期の大量の感染者と死者によって打ちひしがれていたはずの気配は完全に払拭され、街の佇まいも私が離れたときのままだった。

考えてみたら、古代ローマ時代から存在する古都パドヴァにおいては2、3年など大した年数ではないし、激動の歴史によって築き上げられた普遍性は、そこに暮らす人々が日常を取り戻す後押しにもなっていたのかもしれない。大聖堂も古い天文台も今回の騒ぎを毅然と見守り続けていたのだろう。

久しぶりの我が家も、いつものままだった。数ヵ月前、夫とのビデオ通話中、使われていない私の部屋に段ボールが山積みになっている様子が画面に一瞬映った。それを私に指摘された夫は慌てていたが、それもすっかり片付けられていた。

私と息子が到着した週の日曜日、夫の実家では周辺に暮らす一族が集まり、久しぶりに日本から戻ってきた私と息子を歓迎してくれた。一度はコロナに感染した義父母も別段年をとったふうでもないし、むしろ前よりパワフルになっている。

奥の部屋から義妹が3歳になった娘と1歳の息子を抱えて現れ、ほら、これがジャポネーゼの伯母さんと従兄弟のお兄さんよ、と子どもたちに挨拶を促した。

小さな家族が一人増えていたのは、留守中の大きな変化だったが、彼らの父親と義妹がコロナの間に別居をしていたことも思いがけないことだった。

私の漫画のファンだった叔父のベッぺは昨年白血病で他界し、私をイタリアに招いたマルコ爺さんの弟で著名な陶芸家だったアレッシオもコロナで亡くなっていた。家族の構成はさすがに普遍ではない。