不条理な文句や言い草も懐かしく

しかしイタリア家族の猛烈っぷりは以前のままだ。よくもまあ、ここまで人の話に被せることができるものだと思うくらいの多重ステレオ状態で、しかも自分の言葉を届かせようと必死だから皆やたらと声がでかい。

なんてやかましいんだ! と叫びたくなる思いを堪えて、日本ではおしゃべりだと思い込まれているこの私が一言も発する機会もないまま、昼食会の間は終始黙り続けていた。

食べきれなかったサラミや生ハムの残り物を持たされて、パドヴァの自宅に戻ってみると、階下に暮らす老齢の大家夫人が腕組みをして駐車場に立っていた。我が家の風呂場から水漏れがしていて、それが彼女のクローゼットの天井のフレスコ画に染みてきているという。

どう考えても位置的に我が家の風呂場の水漏れが原因とは思い難いが、「奥さんが帰ってきてからなのよ。あなた日本人だから毎日お風呂入ってるんでしょ、絶対そのせいだと思うわ」と決めつけて諦めない。

騒音レベルの親族のおしゃべりの後にこの不条理な文句や言い草も、すべて百点満点のイタリアらしさである。日本ではありえない種類の苛立ちや腹立たしさや諦観も、私にとっては2年半ぶりの懐かしさだった。