イタリア・パドヴァで行きつけだったレストランからメールをもらったというマリさん。「コロナ禍でこの先続けられるかどうか」という内容を読んで思い出したのは、同じくその店の常連だったお年寄りの笑顔だったそうでーー。(文・写真=ヤマザキマリ)

女というものの、一筋縄ではない強さ

夏が来れば思い出す。かつて一時帰国した日本でイタリア語の講師をしていたころ、プライベートで個人レッスンを受けにきていた若くてお金持ちのご夫人Rさんのことだ。彼女に頼まれ、イタリアでのホームステイを斡旋したことがある。

北イタリアに暮らす友人で、年配のシングルマザーと20代半ばのフリーランスの娘の二人暮らしの家が彼女の受け入れ先となった。大学で社会学を教える60代の母親は、かつて学生運動の闘士だったこともあるガチンコの社会主義者だったが、観光ではわからないイタリアが知りたかったというRさんは到着直後から積極的にこの家族との距離を縮め、連絡をしてみると「楽しいです!」と声を弾ませていた。

ところが、そのわずか3日後、Rさんから私のところへ「日本に帰りたい」と、今にも泣き出さんばかりの声で電話があった。どうしたのかと聞くと、イタリアの女たちのいじめに遭ったのだという。

その前日、ホームステイ先の娘さんが、海辺のレストランでの友人たちとの夕食会にRさんを誘ってくれたという。Rさんは海辺のディナーというロマンティックなシチュエーションを踏まえて、日本から持ってきたハイブランドのワンピースを身に纏い、指先のネイルも入念に塗り直し、胸まである髪の毛にもゴージャズなカールを施した。

ところが、自分が連れて行かれたのは、海の家に毛が生えたような大雑把な作りの食堂。砂浜に迫り出した板張りのバルコニーに設えられたプラスチックのテーブルには、Tシャツに短パンという大雑把な出で立ちの男女が座っていた。そのほとんどがカップルだったが、気合の入った姿のRさんが現れるなり、その場にいた男どもの目線は彼女に釘付けとなり、気がつくとモテモテの状態になっていたのだという。

容赦ない嫉妬心の炎を焚きつけられた同伴者の女たちは、ワインをグラスに注ごうとするRさんの手をこれ見よがしに払い除けたり、聞き取れない罵詈雑言を叩きつけたり、Rさんの足を蹴ったりした。とにかくその態度は日本の昼ドラを超えるレベルのものだったと、鼻を啜りながら私に説明をした。

「そもそも」とRさんはハスキーな声で、「自分の彼氏を引き留められない、努力不足の代償を、私にぶつけないでほしいと思いませんか?男たちがあんな態度を取ったのは、彼女たちが怠惰だからですよ」と言い切った。

電話ではメソメソしていたRさんだったが、わりとすぐに開き直ってホームステイ期間をまっとうし、あれだけ日に焼けないよう気にかけていたはずなのに、日本に帰る間際に会った彼女の肌はイタリア女並みに焼けていた。喧嘩した女たちとも関係修復できたという。大丈夫なの、と問いかけるとRさんは天真爛漫な微笑みで私にこう言った。

「これからはソフィア・ローレンを目指そうと思ってまーす!」

大きく手を振りながら空港のゲートへと消えていくその後ろ姿を見送りながら、私は彼女の、いや女というものの、一筋縄ではない強さに心底圧倒されたのだった。