日曜学校の先生も、突然逮捕

わたくしの父は呉服屋でしたから、そんなにハイカラなうちでもなかったんですよ。でも、兄は英語が得意で、アメリカから送らせた本なんか読んでいましたね。だから、世界がどんな状況かわかっていたようです。

でも、“鬼畜米英”の時代、口には出せません。敵の文化に親しんでいるなどと、誰が密告するかわからない。たとえ仲の良い友人でも、油断はできません。

人が3人集まって話していると、どこからともなく目つきの鋭い男が現れて、「お前ら、何話してた。家はどこだ!」って。今思えば、ばかばかしいような話ですけど、ほんとうにそうだったんですよ。

わたくしはクリスチャンではありませんでしたが、お菓子をもらえるのが楽しみで通っていた日曜学校の先生も、ある日、突然逮捕されて、学校も閉鎖されました。

学校では、「教育勅語」を暗誦し、書かされ……。「朕惟(ちんおも)フニ」なんて、今だったら難しくてとても書けません。でも間違えれば、天皇陛下のバチが当たる。天皇陛下は神さまでしたから。紀元節の歌をみんなで歌わされました。「高根おろしに草も木もなびきふしけん大御世を……」。

そうそう、21歳のときには、二・二六事件がありましたね。

その日は大雪でした。わたくしは、椎名町の絵の先生のところに行っていたのですが、反乱が起こったらしいというので、高樹町(現在の南青山)の家まで大急ぎで帰りました。

いたるところにお巡りさんが殺気立った表情で立っていて、ラジオは「流れ弾が飛んできますから、タンスの陰に隠れてください」とくりかえす。今にも東京が戦場になるんじゃないかという雰囲気でした。日本が一気に戦時色に覆われていったのは、それ以降でしょうか。