BOOWYとBUCK-TICKが日本のミュージックシーンに与えた影響とは?(写真提供:PhotoAC)
90年代に入った頃から、バンドやミュージシャンの様式を指す言葉として広まったと言われる『ヴィジュアル系』。90年代後半にLUNA SEA、GLAY、SHAZNAらが人気を博したことで、より一般化したとされます。一方「日本のロックシーンはヴィジュアル系を軸に発展してきたと言っても大袈裟ではない」と話すのが音楽ライターで音楽制作ディレクターを務める冬将軍さんです。特に同じ群馬からデビューしたBOOWY(※2つ目のOはストローク符号付きが正式)とBUCK-TICKが日本のミュージックシーンに与えた影響は絶大だったそうで――。

BOOWYと”ジャパニーズロックバンド”

ロックやバンドは社会に馴染めないような、ちょっと変わったヤツがやるものだった。そんな“ロック=不良”というイメージを、ニヒルでナルシスティックなものに昇華した。それがBOOWYだった。

日本人が慣れ親しんできた歌謡曲、ニューミュージックのメロディを軽快な8ビートに乗せてスタイリッシュに粧(めか)し込んだ。ハードロックでもパンクでもない、日本人が親しみやすいビートロックを確立したのである。

ギター、ベース、ドラムの最小編成で、ボーカルはハンドマイクを持って、横文字を絡めた歌詞を歌う……という現在では多くのバンドが当たり前のようにやっている”ジャパニーズロックバンドのスタイル”を作ったのである。BOOWYの成功は、ロックシーンを一変させた。多くのバンドがBOOWYの影響を受け、フォロワーバンドが溢れかえったのだ。

そんな中で、BOOWYの正統な後継者というべき存在が同郷群馬から出てきた。

BUCK-TICKである。

BOOWYの群馬フォロワーといえば、ROGUEがいる。

のちに氷室京介のライブサポートを20年以上にわたり支え続けたベーシスト、西山史晃と、90年代前半の氷室のライブサウンドを象徴するギタリスト、香川誠が一緒に組んでいたバンドだが、ヴィジュアル系譜で考えれば、ここはやはりBUCK-TICKだ。