「いい夫婦」「おしどり夫婦」を装うということを私は選ばない

しかし、夫婦の間で互いに理解できないことや同意しかねることがあっても、価値観の無理な共有は求めずにそれぞれの考え方や生き方に干渉さえしなければ、良好な関係性は保てるのではないかと思います。

私も夫が研究しているテーマや社会の見方などには興味を刺激されていますし、「このネタなら、うちのダンナに聞いてみるといいかな」と思うことについては、離れていてもメールなりなんなりして彼の意見を参考にしています。

夫は夫で、イタリアの家族のなかで腹立たしいことが起きれば、私の見解を求めてくる。それぞれの暮らしを互いに共有し合えなくても、必要な部分でつながっていられればそれでいいというのが私の考え方です。

とにかく、今の私にとっては、どんな人との関わりであろうと適度な距離感というのはもはや必須です。"家族"という意識を物理的な結束感や世間による判断で実感する必要を感じないのです。

齟齬(そご)が発生し、何をどうしてもそれをうまく調整できなくなったら、そのときは何某かの手段を考えることになるでしょう。

離れることで相手を蔑まずに済むのであれば、世間が理想とする夫婦の形を全うするために「いい夫婦」「おしどり夫婦」を装うということを私は選びません。