(写真提供◎越乃さん 以下すべて)
圧倒的なオーラを放つトップスターの存在、一糸乱れぬダンスや歌唱、壮大なスケールの舞台装置や豪華な衣裳でファンを魅了してやまない宝塚歌劇団。初の公演が大正3年(1914年)、100年を超える歴史を持ちながら常に進化し続ける「タカラヅカ」には「花・月・雪・星・宙」5つの組が存在します。そのなかで各組の生徒たちをまとめ、引っ張っていく存在が「組長」。史上最年少で月組の組長を務めた越乃リュウさんが、宝塚時代の思い出や学び、日常を綴ります。第29回は「宝塚を辞めたくなるタイミング」のお話です。
(写真提供◎越乃さん 以下すべて)

喜多弘先生の厳しい洗礼

宝塚の振付家に、「鬼の喜多」と異名を持つ、それはそれは厳しい先生がいました。
言葉に勢いがあり、関西弁のクセも強く、
振付を間違えた生徒には、テンポを取るために使用している小太鼓のスティックや灰皿が飛んでくることも昔はしばしばあったようです。
幸いにも私が下級生の頃には、だいぶ丸くなられたようで、
小太鼓のスティックも灰皿も飛んできませんでしたが、罵声は容赦なく飛んできました。

喜多先生は、初舞台生や下級生のラインダンスを担当することも多く、
私も下級生の頃に喜多先生の厳しい洗礼を受け震えた一人です。

ラインダンスはとにかく合わせる事が大事です。
足が上がりすぎるのもダメ、上がらないのもダメ。
全員に身長差はあれど、足を上げたつま先の高さ、足を上げるタイミング、顔や手、首や体の角度…全員が揃えることに命を燃やします。

何度も何度もお稽古を重ね、どんなに筋肉痛になろうと、息が上がろうと、
何があろうとも顔は笑顔です。

振りを間違えたりしようものなら、喜多先生の怒号が飛んできて、
間違いなく「泣く自信」はありました。
一人のミスでも連帯責任になって、みんなに迷惑がかかってしまいます。
絶対に間違えてなるものか!
一糸乱れぬラインダンスの美しさは、喜多先生の厳しい指導の賜物でした。

今の時代では考えられないほど厳しい指導の喜多先生でしたが、生徒たちはみんな知っていました。
その厳しさが、舞台に対する真っ直ぐな情熱と、
立派な舞台人に育てたいという深い愛情の表れだという事を。
初舞台生のラインダンスのお披露目のあと、初舞台生と一緒に涙するような、
温かく愛のある先生でした。

宝塚歌劇団の本拠地 宝塚大劇場