「死を納得しているから詮索しないで」

死後数週間が経過していたエイちゃんの命日は特定できないとのこと。警察に7月30日から8月6日の間で家族が決めるよう言われ、夫が7月31日と決めた。

家族だけの小さなお葬式を行い、1ヵ月ほど経った9月16日の朝方、私は不思議な夢を見た。カレンダーを見ながら何かを数えている。目が覚め夢を思い出しながら、カレンダーを手に「確か日にちをさかのぼっていたっけ」。

46、47、48……。49で7月30日にたどり着いた。あぁ、今日はエイちゃんの四十九日か。忘れかけていたエイちゃんの存在、思い出してほしくて夢に出てきたのかもしれない。本当の命日は31日ではなく30日なのかもしれない。私は夫に電話をかけそのことを伝えたが、今さら変更する明確な理由もなくそのまま時は流れた。

翌年、私は7月の命日が近づいてもエイちゃんのことは忘れていた。実母が体調を崩し入院することになり、準備に追われていたからだ。クローゼットで母の着替えや洗面用具を運ぶための大きめの袋を探していると、ガサッと音がして見覚えのあるビニールバッグが落ちてきた。

エイちゃんのお骨を地元に連れて帰る時に使ったバッグ。そうだ、今日は7月30日。エイちゃんは今年もまた、この日が命日だと知らせたかったのだろうか。

そしてまた1年が過ぎ、エイちゃんが亡くなって2度目の命日。私は手作りの2段ベッドの上段に座っている夢を見た。そこにエイちゃんが現れ、驚いた私は「来ているならみんなに挨拶してよ」と話しかける。すると、「みんなが集まっている時は俺も必ずいるよ。死んだことも納得しているから詮索しないで」と言って、エイちゃんは姿を消した。