熱中症で動けなくなった父
8月下旬の暑い日曜日のことだった。私は原稿の締め切りが重なっていて、父の家に行くのは普段より遅くなりそうだ。午前中にいつも通り安否確認の電話をしたが、寝室で電話を受けた父の声が聞き取りにくい。呂律が回っていない気がする。この夏、熱中症の心配をするのは何度目だろう。
「暑いね。体調はどうですか」
父は面倒くさそうに、不明瞭な声で答えた。
「いや…‥変わりない」
「タンスの上の温度計を見て。何度になっている?」
「うーん、30度かな」
「え? 窓を閉め切っているんじゃない? すぐに居間に移ってエアコンを付けて……」
と私が言っている途中で、父はいきなり話を遮った。
「お前はうるさい!」
いきなりブツッと電話を切られてしまった。私は落ち着かない気持ちで仕事を済ませ、急いで父の家に行くと、やはり予感は的中していた。
西日で更に気温が上がった寝室で、父がぐったりとベッドに横たわっている。話しかけても目がうつろだ。
義妹に来てもらって、二人で父の体を抱き起こした。熱はないが、顔には脂汗が浮かんでいる。咳は出ていないし、のどの痛みもないというから、新型コロナウイルスの感染ではないようだ。
義妹と二人で両脇をかかえて父を立ち上がらせたが、足元がふらついている。ゆっくり一歩ずつ足を動かすように促して、エアコンの風が当たる場所にある椅子に座らせた。
ポカリスエットを飲ませているうちに、父の顔色は少し良くなってきた。私は父の真正面に立ち、目の焦点が合っているかを確かめた。じっと目を見る私に、父は言った。
「何をしているんだ?」
「呂律が回らないとか、足元がふらつくとか、今までになかったことだから、脳内出血の兆候がないか確かめているの」
水分補給の効果か、父はにわかに生気がみなぎる目つきに変わり、私に言い返した。
「自分の体のことは、自分でわかる。心配するな。それより、ご飯を作ってくれ。朝から何も食べていないんだ」
家族にさんざん心配かけておいて、ちょっと元気になると高圧的になる父に呆れたが、命に別状はなさそうなことには安堵した。
軽く食事を食べた後、父のベッドを整えるために寝室に行った。先程父を抱き起す際には、必死だったために、寝具の状況を見ていなかった。
いつも手足が冷たく、寒がり屋の父は、真夏でもタオルケットと夏掛け布団を重ねて掛けて寝ている。きれいに整えてあげようと、夏掛けをめくると、なんと、電気あんかがタオルケットの上に置いてあった。温度調整の目盛りは「強」になっている。
オーマイ・ダッド!
30度の室内で、電気あんかを抱いて寝ていたなんて、信じられない。
私はしばらく呆然としていた。認知症の人の行動は謎が多過ぎる。私は咄嗟に対応が浮かばなかった。このまま居間に戻ったら、父に向かって「この暑いのに、何考えているの!」と、私は怒鳴ってしまうだろう。
枕カバーを取り替えたり、新しいパジャマを出したりしてから、居間に戻って父に言った。
「夏だからね、電気あんかはいらないと思うよ。今日から使うのをやめて」
「いやだ」
高齢イヤイヤ期の父の扱いは、益々難しくなってきた。