さようなら運転免許

翌日私は父を病院に連れて行った。父の体調不良を、熱中症だろうと判断して水分や栄養を補給して見守って一晩過ごしたが、もしほかに原因があったら困る。

血液や尿の検査をし、脳内画像を見て、あらたな脳梗塞がないかなどを調べてもらった。幸い特に異常はなく、水分補給を常に心がけるように言われただけですんだ。

ところが、月曜日の午前中だったせいか、院内は非常に混んでいて、会計で長い時間待たなければならなかった。

私は日中父のケアに時間を取られたこともあって、徹夜で原稿を書いていたために寝不足で、待ち時間に少しでも休みたかった。目を閉じて寝たふりをしていても、父は構わずに話しかけてくる。

待合室のテレビから、高齢者が交通事故を起こして死亡者が出たというニュースが流れてきた。父が私の方に顔を向けて言った。

「こういう事故を起こしたら、大変だよな」

父は昨年自宅の車庫を壊す自損事故を起こして車を手放したものの、運転免許を所持していたいという願望は、心の中にくすぶっているように見えた。更新を目指して、家族に黙って運転認知機能検査を受けるなどの行動からも、それは明らかだった。

1か月前、誕生日の日に、更新は諦めたようなことを父は言っていた。しかし、なかなか免許証への未練を断ち切れずに、父が葛藤していることに私は気づいている。何を言い出すか、身構えて待っている私に、父は抑えた口調で話し出した。

「明後日で、誕生日から1か月が経つ……更新できる期限が切れてしまうんだ」

私はわざと父と目を合わさずに答えた。

「パパ、もう車もないし、免許証はいらないんじゃない?」

父は寂しそうに表情を曇らせ、囁くように言った。

「諦めるか……」

「そうだね……小さい時、車でいろんなところに連れて行ってくれたね…‥忘れないよ」

父は肩を落としたまま、小さくうなずいた。

(つづく)

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