イメージ(写真提供:Photo AC)
高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、94歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

前回〈94歳、認知症の父が子ども返りしている。ひ孫に贈られた細工蒲鉾を欲しがり「俺も男の子だ!」とねだる〉はこちら

娘の愛が伝わらない

私は毎日午前中に、父に電話をかける。安否を確認した上で、夕方食材を買って父の家に行くと伝えるのが、日課となっている。夕食を作りながら、おしゃべりし、食事しながら父の好きなテレビを見て過ごす。

玄関に入ると私は、「変わりない?」と声をかけ、父の部屋に入る。父はベッドに寄りかかり、テレビを見ていることが多い。まず私は、父が前夜脱いだ衣類を片付けながら、顔色を見て身体の状態を把握している。

ところが最近、父はきょとんとした顔で私を見るようになった。
「あら、来たのか、珍しいな。何か用事があったのか?」

正直なところ、これにはかなり傷ついた。私が毎日仕事の時間をやりくりして行っていることを覚えていないのだ。情けなさが募り、私は懸命に訴えた。

「娘が毎日心配して世話しに来ていることを、忘れないでよ!」

「そうだったか、ありがとう」
と言われ、拍子抜けする日が、3回に1回。ほかに2つのパターンがある。

「忙しいなら、来なくていいぞ」

そして残りの1つのパターンが、私には一番堪える。

「仕事がなくて、暇だから来るのか?」

「あのね、私は暇ではありません。小説を書くだけでなく、いろんな仕事があるんです」

怒りが収まらない私の神経を逆撫でするように、父は切り返してくる。
「それは、良かったな。お前の年で、仕事がある人は少ないぞ。頑張れ」

仕事の件に関しては、父に言われなくても、ありがたいことだと思っている。でも、私が父に評価してほしいのは、仕事をしながらも、父の世話に手を抜いていないという点だ。

もちろん父にそのような気持ちがわかるはずはなく、ニコニコして私に言った。
「大丈夫だ。俺は一人でご飯を用意できるから」

食事の用意だけではなく、父は、あらゆる家事を自分でできていると信じて疑わない。
数年前の元気な時の自分のまま、今も暮らしていると思っている。

「それはすごい。パパは偉い!」と、「スーパー年寄り」扱いしてあげようかと一瞬思ったができなかった。おだてたら真に受ける父には、娘の愛は、きっと永遠に理解してもらえないだろう。