父が子どもになっていく
父の「子ども返り」が始まっている。最初にそれを感じたのは、「こどもの日」のことだった。私の次男のところには、3歳と1歳の男の子がいる。父は離れて暮らすひ孫に何かしてやりたいらしく、私に聞いた。
「こどもの日に、何かお祝いを送ってやったのか?」
「うん、富山県の蒲鉾屋さんの細工蒲鉾を送ったよ」
「細工蒲鉾って何だ?」
父は、自分の「知らない」言葉を聞くと、突然不機嫌になる。「知らない」ことにぶつかると、その度に非常に敏感に反応する。
長く生きている分、ほかの人より多くのことを知っているつもりの父。それなのに、知らないことがあるという現実に、父のプライドが傷ついているのをうかがい知る。
私は、気分を害さないように気を使って父に説明した。
「魚のすり身を着色して、色んな形に細工した蒲鉾のことだよ」
父はまだムッとした顔をしている。
「その説明じゃ、どんなものかわからないな」
「じゃあ、写真を見せるね」
蒲鉾を受け取った次男が送ってくれた写真を、私はスマホに保存してあった。画面を拡大して、五月人形の金太郎の細工蒲鉾を父に見せた。
私は「兜、金太郎、鯉のぼりの鯉…」と画面を指差しながら説明した。
父にとってはかわいいひ孫。その子たちに贈り物をしたというのに、なぜか父は面白くなさそうだ。
「俺にはいつ届くんだ?」
「いや、パパには送っていないよ」
「すぐ頼んでくれ」
予想外の父の反応に動揺しながら、私は言った。
「あのね、こどもの日は、男の子の健やかな成長を祝う日。大人のお祝いの日じゃないよ」
すると父は怒りだした。
「俺も、男の子だ!」
「え? パパは男性だけど、男の子ではないでしょ! そんなに食べたいなら、来年はパパの分も注文するから」
「来年は、生きているかどうかわからない。今、食べたいから、注文してくれ」
スマホの電話機能をスピーカーに切り替え、父に聞こえる状態で蒲鉾屋さんに問い合わせると、予約販売の季節商品なので売り切れたと言われた。それでもなお憤慨している父の姿は、わがままな子どものように私の目に映った。