高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、93歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。
嘘を言わないでほしい
午前中に電話をかけて父に聞くのは、「朝食を食べたか」「薬を飲んだか」の確認がメインだ。
「あぁ、食べたよ。薬も飲んだ」
と父が答えるので、それを信じて私は16時頃まで仕事をし、買い物してから父宅に向かう。7月までは一緒に買い物に行くこともあったが、最近父は、出かけるのが億劫らしく、私にまかせきりだ。特に食べたいものをリクエストすることもない。
私は父の家の鍵は持っているのだが、足を衰えさせないようにするために、父に玄関まで歩いてほしいと考え、わざと呼び鈴を鳴らす。しかし、8月に入ってから、父が玄関の戸を開けてくれることはなくなってしまった。夕方になっても、新聞受けには朝刊が入ったままだ。
「久美子だよ」と言いながら居間に行くと、父の姿はない。テーブルには、朝、義妹が出勤前にセットしておいてくれた、目玉焼きとサラダののった皿が、ラップがかかったまま放置されている。食べようとした形跡はまったくない。
おまけに、血圧の薬と脳の血管が詰まらないようにする薬を、昼までに飲むことになっているのだが、お薬カレンダーのポケットに入ったままになっている。父が電話で「朝ごはんは食べた。薬も飲んだ」と言ったのは、嘘だったのだ。
簡単にばれるのに、どうして父は嘘を言うのだろう。私には30代の息子が2人いるが、彼らの子育ての時は、嘘をついたら叱ったり、なぜ嘘をつくのがいけないのかと諭したりした。
けれども、認知症だとはいえ、親はあくまでも親で、目上の人だ。子ども扱いして叱ることは、私にはできない。ましてや父には嘘をついている意識はなく、本当に忘れているのかもしれない。だから、子育てのやり様は通用せず、介護者である私は、頭を抱えてしまう。