母は《昔のニッポンのお父さん的存在》だったとかれんさんは語る

ノエル そのぶん、普通のきょうだいより結束は固いかもね。

かれん 親の生き方に翻弄された《同志》というか。戦友みたいなものでしょう。(笑)

ノエル 母との同居が始まった頃、被害者意識が募った時期があったのね。「私はこんなに大変なのに、かれんやローリーは自由に生きていてずるい!」みたいな、負の感情に囚われてしまって。

でもちょうどその頃、かれんが20代に母に宛てた手紙を、バンクーバーの家で見つけたの。母の結婚相手に私たち3人はひどいことをされていたのだけれど、「あの人と別れないなら、私はお母様の葬式にも出ません」という辛辣な手紙で、びっくりした。

かれん あの時期、私は母とほとんど顔を合わせていなかった。でもノエルに関することでとうとう我慢が限界に達して、まず直談判で訴えたのよ。そうしたら完全に開き直られてしまって、だからあの手紙を最後通牒のつもりで突きつけた。

ノエル そのことを手紙で初めて知って、涙があふれて止まらなかった。私やローリーは自由奔放に育ってきたけれど、かれんは「みんなのお母さん」的な役割だったでしょう。あの時も冷静にきょうだいのことを考え、責任感を持って行動してくれていたんだと思うと、心にたまっていた嫌なわだかまりがスーッと消えていった気がした。

かれん ローリーは末っ子で天真爛漫、ノエルは母と趣味も合って仲よし。私だけ何となく小さい頃から、授業参観にも運動会にも来てくれない母を普通じゃないと感じて、どこか恥ずかしいと思っていた。だから母親の役割を私が担おうとしてきたのかもしれないね。