エッセイストの桐島ノエルさん(左)と、モデルの桐島かれんさん(右)
6月に刊行された家族での共著『ペガサスの記憶』では、母・桐島洋子さんが認知症であることが公表されています。診断から現在までの7年間、どんなことを話し合い、どのように母をサポートしてきたのでしょうか(構成=山田真理)

<前編よりつづく

父親のような母と母親のような姉

かれん 認知症だとわかってからは、家族の誕生日や旅行で集まったり、ほかにも3人で定期的に会って母のことを話し合ってきたつもり。でも、ノエルが「カナダに帰りたい」というほど追い詰められていたとは、なかなか気づけなくて本当にごめんね。

ノエル 私たちは基本的に、プライベートな打ち明け話をするのが苦手でしょう。これは絶対、母の影響だと思う。「家族で何か問題が起きた時、私はまずそれを胸の中の箱にしまうの。数日経って開けたら、だいたいの問題は消えてなくなっているものよ」って。一人で問題を抱え込んで、外へもらすことが不得意なの。

かれん いわゆる普通の母と子の関係とは違って、ベタベタしたところがないのよね。たとえば、夫は病気の義母に会う時、愛おしそうに頬ずりしたり髪をなでたりする。私たち家族は、そういうスキンシップや愛情表現がないわね。

ノエル 「なにそれ気持ち悪い」って言いかねない。(笑)

かれん どちらかというと母は、昔のニッポンのお父さん的存在よね。つねに忙しくて、たまに家にいると子どもたちがピリッと緊張する感じ。かまってくれたり、病気の時に世話をしてくれたりする「母親的な人」は、祖母や書生さんと呼ばれる秘書代わりの女性たち。母とはそうした関係を結ばないまま育ってしまったから。