寄せては返す好不調の波
焼肉を食べて帰宅すると、さすがに疲れが出たらしく、父は寝室で横になってテレビを見始めた。私はバタバタと掃除機をかけ、夕飯の用意を終えてから父に言った。
「今日は原稿の締め切り日だから、自分の家に戻って仕事するよ。パパのご飯はテーブルに用意してあるから、自分で食べてね」
「はい」
久しぶりに父の口から「はい」という言葉を聞けた。イヤイヤ期は脱したのかもしれない。ほっとして、その夜は仕事に専念することができた。
ところが翌日の午後に父の家に行くと、朝刊が新聞受けに入ったままだった。家中のカーテンが閉まっていて、薄暗く、空気が淀んでいる。
寝室に行くと、父は軽く目を閉じて横になっていた。
「パジャマのままじゃだめだよ。着替えようよ」
「いやだ。どこにも行かないから、このままでいい」
父がイヤイヤ期を脱していないことに、私は失望した。
水分を摂らせ、果物を少し食べさせて、夕食まで父の体調を観察した。昨日焼肉ランチを食べた人とは思えないほど、意欲が低下している。父はパジャマのまま、億劫そうに一口だけご飯を口に運び、すぐに箸を置いてしまった。
このように、短い周期で、父の好不調の波が交互に打ち寄せる。子育ての場合は、やれることがどんどん増える時期と、停滞する時期があったとしても、最終的には右肩上がりに成長していく。
でも介護は真逆だ。調子が良い時は長く続かず、右肩下がりに心身の健康状態が低下してくる。
父の担当医に渡された、「認知症 症状別対応ガイドブック」には、「生活習慣を維持しましょう」と書かれている。できる限り見守り、励まし、自立した生活を促しているつもりだ。
しかし、父が自分の生活習慣を忘れ始めているのだから、家族の力で維持させるのは至難の業だ。介護の閉塞感を打開する方法が見つからなくなってきた。