父が本当に壊れてしまった
私には3歳と1歳の2人の男の孫がいる。父にとっては待望の「ひ孫」で、写真を見ては「かわいいな」と目尻を下げる。8月の終わり頃、コロナ禍でなかなか会えなかったひ孫が、札幌にやってくることが決まった。
私はスマホのビデオ通話を繋げて、父に3歳の子と話をしてもらった。3歳では「ひいおじいちゃん」という関係がまだ理解できないため、父のことを「おじいちゃん」と呼んでくれる。父はひ孫に聞いた。
「おじいちゃんが、おもちゃを買ってあげますよ。何が欲しいですか?」
妙に丁寧な言葉遣いで、ひ孫に話しかける父の姿が微笑ましい。小さい子どもをかわいがり、優しく話しかける穏やかな父の姿を、私はすっかり忘れてしまっていた気がする。
翌日父は、ひ孫に約束したおもちゃを、前もって買いに行くと言い出した。起きるとすぐに着替えて顔を洗い、朝食も残さず食べてくれた。
ひ孫に会えるという張り合いによって、父が生活への意欲を取り戻すのではないかと、私は期待していた。
公園で、ひ孫が遊ぶ姿を幸せそうに見つめる父。食事の時に、ひ孫と牛乳で乾杯を繰り返したり、「いないいないばー」をして笑ったり。毎日2、3時間ずつではあったが、父はひ孫たちと笑顔の絶えない1週間を過ごした。
ところが、ひ孫たちが帰った途端に、父の言動がおかしくなってしまった。
私が作った夕食に箸を付けず、ただじっとお皿を見ている。
焦らせないように、柔らかな口調で、私は父に言った。
「ちゃんと食べなきゃ、体力落ちるよ」
すると父は、ひどく深刻な顔つきで、途切れがちに私に訴える。
「どうしたらいいかわからないんだ……ご飯を口に入れた後、どうするんだ? 後が続かない……」
意味不明の言葉に、私は鳥肌が立った。父が何を言わんとしているか、まったくわからない。とうとう父は、本当に壊れてしまったのだろうか。
一緒に夕飯を食べていた義妹も、ぎょっとした顔をしている。私が目で合図すると、義妹が父に言ってくれた。
「お義父さん、今ご飯を一口食べたから、次は魚を口に入れてみましょうか」
黙っておかずを見つめていた父は、先程と同じ言葉を繰り返した。
「仮に魚を食べたとして、それからどうしたらいいかわからないんだ……」
私は明るく言ってみた。
「パパ、口に入れたら、噛んで、飲み込むんだよ。それから次のおかずを食べようね」
父は首を振り、意味不明の言葉を繰り返す。3時間、同じやりとりが続いたところで、私も義妹も根負けしてしまった。
私は父に「明日はご飯食べようね」と声をかけ、一緒に寝室に行き、ベッドに寝かして布団をかけて、電気を消した。
ひ孫と過ごすことが楽しかった半面、父は体力的に無理をしていたのだろうか。疲れていることを自覚できなくなっている父には、私の想像を超える負担がかかっていたのかもしれない。