元気になった途端に、食欲がわいた父
8月下旬の日曜日、残暑の厳しい中、あんかを使って寝ていた父に、熱中症のような症状が出た。ポカリスエットなどを飲ませて回復したが、翌日、念のために連れて行った病院でのこと。
検査の結果、予想通り脱水症の初期症状だったと診断された。経口で水分を摂れるなら、点滴を受けなくても大丈夫だと先生に言われた途端に、父は元気を取り戻して、私に聞いた。
「おなかが減ったな。今、何時だ?」
「12時半だよ。これから会計をして、薬局に行って薬をもらうから、昼ご飯は遅くなるけど我慢してね」
「そうか」
わかったような返事をした父なのに、1、2分経つとまた言う。
「おなかが減った。もう帰ろう」
私は、月曜日で患者さんが多くて会計に時間がかかることや、会計を済ませないと薬をもらえないことを父に説明した。やっと会計に呼ばれたのは、午後1時過ぎだった。
父がお金の支払いを一人でするのを、私は横に立って見守る。財布からお金を出すのに少し手間取ったが、父は無事に支払いを済ませ、上機嫌で私に言った。
「うなぎを食べに行かないか?」
「え?」
昨日、脱水症で足元がふらついていた父が、うなぎを食べたいと言い出すとは。
私は目が点になり、しばらく返事ができなかった。すると、父は私に聞いた。
「おまえ、うなぎが嫌いだったか?」
ひと月前、「土用の丑の日」に私と二人でうなぎを食べに行ったことを、父は覚えていないらしい。せっかく私が奢ったのに、忘れられているのが悔しくて、恩着せがましい返事をした。
「私はうなぎ、好きだよ。この間パパに、奢ってあげたじゃない」
父は、忘れていたことを誤魔化す時特有の照れ笑いを浮かべて言った。
「あぁ、そうだったな。じゃあ、今日は俺が奢る」
「あのね、パパ。昨日体調が悪かったでしょ。今日はまっすぐ家に帰って、消化の良い素麺でも食べようよ」
どうしてもうなぎが食べたいと父は言い張る。先生が止めてくれたら、諦めがつくだろうと目論み、私は受付に、もう一度父を診察室に通してもらいたいと頼んだ。ハンチングを脱いで、一礼して診察室に入った父は、先生に訊ねた。
「帰りにうなぎを食べてもいいでしょうか」
「いいですよ。食欲が出てきたなら、食べられるものはなんでも食べて構いませんよ。でも、水分は忘れないで摂ってくださいね」
医師の許可が出て喜ぶ父を助手席に乗せて、私はうなぎ屋に向かったが、休業日らしく、シャッターが下りている。家に戻って簡単な昼食で済ませたいと思っていた私には、ラッキーな展開だ。車の方向転換をしている私に、父は言った。
「焼肉屋に行ってくれ」
前日から父の脱水症の心配やそのケアで、私は仕事が溜まって焦っている。今日は今日で、朝から病院の付き添いで疲れているのに、焼肉ランチの付き合いをさせられる。父に振り回されて、私のほうが体調を崩しそうだ。