長女とのぎくしゃくが続いていたある日、少し目を離したすきに、義母が外に出てしまう。沙織さんが警察へ電話していると、長女が「私が捜す!」と家を飛び出した。追って沙織さんも捜しに行くと、夢中で祖母を捜す長女と遭遇。長女は沙織さんに抱きつき、号泣した。

「私みたいに冷たい子がいる家になんか、おばあちゃん、いたくないんだよ。このまま見つからなかったらどうしよう……私が全部いけないんだ」

「長女のそんな痛々しい姿を見た瞬間、義母を施設へ預けようと決意したんです。これ以上、娘たちに負担をかけてはいけないって」

義母の認知症診断から、約2年が経過していた。沙織さんは、義母の施設入所日のことを忘れられない。

「施設から帰宅して庭を見渡すと、雑草だらけ。娘たちと手入れをしながら、久しぶりに『生きている』という実感が得られました。長女が花を植えつつ『たまには家族でおばあちゃんに会いに行こう』って。胃腸炎もその日から噓のようにピタリと治まった。

「義母は今も施設です。手厚く介護していただいてありがたい。変なプライドなど捨て、最初からプロに任せていれば……と後悔しています」
 

◆「実母を看取りたい」を受け入れてくれた家族

約2年前、結婚後も生活をともにしてきた実母(当時72歳)が、医師から「胆管がん。長くてあと半年」と宣告を受けたという美鈴さん(仮名・51歳・専業主婦)は、母親を入院させず自宅で看取ると決めた。一緒に暮らす夫(54歳・自営業)、長男(24歳・整体師)、長女(20歳・パート)、次女(小学3年生)の家族全員、快く承諾してくれたそうだ。

「当時、次女は小学校に入学したばかり。慣れない生活に戸惑っているはずの次女のケアと、死にゆく母の介護、どちらに重点をおくべきか迷いました。ただ、私は父親の顔を知りません。物心ついた頃から、母が女手ひとつで育ててくれた。だから、恩返しというか……最後までしっかり世話をしたかったんです。次女のことは、後々丁寧にフォローすればきっと大丈夫、と」

次女は、もともととても気配りのできる性格だ。祖母の自宅介護が始まると、甘えたい気持ちをぐっとこらえているのが、手に取るようにわかったという。

「『あれやって』『これ手伝って』がまったくなくなったんです。それでつい、かわいそうになって……。上のふたりのときは、小学校入学と同時にひとり寝をさせたし、食べ物の好き嫌いにも厳しくしたのに、次女には添い寝を続け、嫌いなものは『食べなくていいよ』なんて。ちなみに次女は、小学3年生になった今でも、私の添い寝がないと眠れないんです。偏食もひどい。私が育児を怠ったからだ、と自責の念にかられています」