一方で、母親の症状は悪化。余命宣告の「半年」を迎えた頃には、意識障害の一種「せん妄」が始まった。「私は大丈夫」が口癖の気遣いの人で、いつだって綺麗な言葉遣いを心がけていた母親が、耳を疑うような暴言を吐くようになったのだ。

「仮眠をとるね」と言えば、「寝るんじゃねえ、バカ!」。「歯磨きしよう」と歯ブラシを持たせると、「私が嫌と言ったら嫌なんだよっ!」と放り投げる。もっともつらかったのは、次女がそばに行くと、「うるさい! あっちへ行け!」と追い払うことだった。

「次女は黙って別の部屋へ行き、声を殺して泣いて……。そんな目にあってもなお、おばあちゃんが心配で、ベッドの横にそっと座る。そしてまた怒鳴られる。もう、切なくてね……。毎晩、ひとつの布団にくるまり、ぎゅっと抱き合いながら、『ママも大変。だけど、がんばろうね』と言うと、『うん。病気のおばあちゃんが、一番大変だもん』。あとは学校での出来事など、とりとめのない話を聞くことだけが、唯一私にできた母親らしいことだったかもしれません」

そんなふうにわがままを封印していた次女だったが、兄と姉の前では、お絵描き帳に殴り書きしたり、ペンを壁に投げつけたり、イライラを爆発させることもあったそうだ。見かねた長男は時折次女を遊びに連れていき、長女は妹の好物のスイーツを作ってあげた。

美鈴さんは、長男から「家事は俺たちにもできる。でも母親にしかできないことがあるだろ? ちゃんとみてやれ!」と注意された日もあったという。そして約1年前、母親は、家族に見守られながら、自宅の愛着あるベッドの上で息を引き取った。

今、美鈴さんは、「満足いくまで、母を介護できた」と言い切る。が、いよいよ下の世話が必要になった母親が「入院したい」と口にした際、「ずっと一緒にいて」と拝み倒し、母親の意思を汲み取らなかったことだけが、心のしこりとなっているとか。

「私のエゴでしかなかったわけですから。でも、そのことで私が落ち込むたび、長男が『おばあちゃんは、母親として、最後の最後までお母さんのやりたいようにさせてくれただけ』って。次女も生意気に、『その通り!』と相槌をうつ(笑)。とにかく、経済的に支えてくれた夫も含めて、家族の誰が欠けても母の自宅介護は成り立たなかったと思います。みんなに感謝感謝です」

 

◆不安のたねは、母娘の良い関係が同居で壊れること

前出のふたりが急に訪れたダブルケアに戸惑ったのとは異なり、「長男を38歳、次男を42歳と高齢で出産したため、漠然とダブルケアを覚悟していた」というのが幸恵さん(仮名・45歳・契約社員)だ。

「数年前に父が亡くなったことをきっかけに、近所でひとり暮らしをする母の『生存確認』を兼ね、毎日夕食に招くようにしたんです。だから昨年、母の喋り方が少し変なのにすぐ気づいたし、『ふらふらする。病院へ連れていって』と頼まれても、即刻対応できました」

検査の結果、脳梗塞と診断される。幸恵さんは、「母は介護が必要になるだろう。私の自由な人生は、これで終わった」と腹をくくったそうだ。「契約社員の身で、介護休暇を取るのは憚られます。大好きな仕事を手放し、介護と育児に振り回される生活に陥るかもなって」