憶測や期待、先入観からではなく
さらに、官兵衛は続けます。
「信長の合戦を検証すれば、まさに向かうところ敵なしであることがわかります。これは信長に武勇と知謀の両方が備わっているからです。そのうえ信長は、天下六十余州の真ん中である畿内を中心に領地を押さえており、今後の勢力は四方へと広がっていくことでしょう」
おそらく官兵衛は、ほかにも織田家に関するさまざまな情報を収集し、分析していたはずです。
例えば、織田家は合戦に次ぐ合戦を重ねており、軍事費が膨れ上がっているはずなのに、資金が底を尽く様子がない。これは領国において商人を優遇し、市(いち)を開かせ、交易を奨励するという経済政策によって、莫大な収入を得ているからであること。国際貿易港の堺さかい(現・大阪府堺市)も押さえていました。
また、戦場における織田家の指揮官の能力が高いのは、出自を問わず、実力があれば次々と重職に抜擢する人材第一主義を採っているからであること、など。
このように官兵衛は、憶測や期待、先入観からではなく、誰よりも綿密に具体的な情報収集をしたうえで、それを冷静に分析し、「毛利でなく織田につくべきだ」と、主張しました。
これだけのことを言われれば、誰だって、「ここは官兵衛を信じよう」となるものです。こうして小寺家は、織田方につくことを決めました。