いきなり新幹線のレールに乗ったような生活

それまではね、言うたら、在来線の線路を走っていた感じでした。それが一晩でガチャンと線路が切り替えられていきなり新幹線のレールに乗ったようなもんです。次々と後ろから新幹線が走ってくるし、自分たちも走るしかない。電車のモーターは在来線のままやけど、そんなこと言うてられへん。止まったらアカン。モーターから火が噴き上がろうが、走るだけ。そんな生活になりました。

一世を風靡した太平サブロー・シローの漫才。右がサブローさん(写真提供◎吉本興業)

そこから一旦吉本興業を辞めて東京に行って、コンビも解散して、そこからまた吉本に戻って。そこで同年代の(明石家)さんまさんやら(オール)巨人さんやら(島田)紳助さんらに尽力してもらって、また頑張るしかない状況になった。

上岡龍太郎さんに言っていただいてマラソンもやってましたし、なんでしょうね、あらゆる形で「これはもうやるしかない」。これが背中を押してきたと思います。

10年ほど前からギターもやっていて、リサイタルをさせてもらったりもしているんですけど、これこそがまさに「やるしかない」を体現しているというか。

19歳の頃にアルバイトをしていた店のマスターが「サブロー君、芸人をやるんやったらギターくらいは覚えておいた方が良いよ」と言ってくださったんです。