今のうちに、パイプオルガンを聞いておきなさい

1942年4月18日、東京で初めての空襲。45年3月10日の東京大空襲はよく知られていますが、初めての空襲はこの日の正午。「アメリカの航空技術では東京への往復飛行はできないから、東京空襲はない」と言われていたのに、B25爆撃機が片道飛行で飛来、中学生2人が日本本土での初めての犠牲者になりました。

この空襲の後、父は、「アメリカの力は強大だ。いずれ東京は火の海になる」と思ったようです。僕にこう言いました。

「今のうちに、日本橋三越にあるパイプオルガンを聞いておきなさい。日本に数台しかない貴重なものだから。学校は休んでもよろしい」

三越は、日銀の隣ですから、父は、昼の休憩時間に聞きに行っていたのではないかと思います。

兄に連れられて三越に行くと、1階には売り場がなく、ホールのようになっていて、2階にそのパイプオルガンはありました。オルガニストは、戦闘服にゲートル、鉄兜を背負い、弾倉ベルトを着けた兵隊さんで、「軍艦マーチ」「空の神兵」「海ゆかば」などを弾いていました。その時です。突然、違う曲が流れてきた。兄がささやいたのです。「これはバッハだよ」。

このパイプオルガンの演奏にいたく心を動かされ、さらに、長兄が文展(現・日展)にも入選していた画家だったこともあって、芸術に強い憧れを抱くきっかけになりました。

それから、半世紀以上たったある日、縁あってこのオルガンを弾く機会に恵まれました。オルガンも、僕も生き延びた。夢のような時間でした。