劇団は解散!突然放り出されて

しかしその俳優小劇場は、加藤さんが養成所に入って一年半で突然解散してしまう。ここで第二の転機が訪れる。

――養成所をはじき出された人たちが喫茶店に集って、「新芸」という劇団の名のもとに自分たちで何かやろうというとき、雑誌『新劇』に文学座の上演台本『熱海殺人事件』(つかこうへい作)が載ってて、これがすごく面白かった。

それを渋谷のプルチネラっていう50人ほどしか入らない喫茶店劇場でやったら、やけに評判がよくて。それをつかさんが観に来て、「今度うち(つか劇団)でも『熱海』をやるから同じ役で出てくれないか」って。

当時まだつかブームになってないころだったんで、VAN99ホールっていう小さいホールに出させていただいたのが、最初の出会いです。つかさんは僕より一つ年上。

それから7年間でつかさんの劇団が解散するまで、僕はほとんどの芝居に客演してました。このつかさんとの出会いが第二の転機でしたね。

 

伝説の『熱海殺人事件』を私は新宿・紀伊國屋ホールで観た。犯人・大山金太郎役の加藤さんが客席後方から、つば広の帽子にサングラス、つなぎの服でマイク片手に「マイ・ウェイ」を歌いながら、私のすぐ横を通って派手に登場する。

舞台上で帽子を取ると意外にもおかっぱ頭で、サングラスをはずすとさらにその下に小さな眼鏡。場内は熱気に溢れ、爆笑の渦だった。

――僕たちの「新芸」でこの芝居をやったときは、台本を先に読んで上演を決めたわけですが、その後つかさんの芝居に出ると、稽古初日に台本はないんですよ。それでつかさんが役者それぞれの役を、感情をこめて喋る。いわゆる「口立て」です。それをこっちがオウムみたいに喋る(笑)。非常にむなしい気がしました。

本来なら、役者が活字から立ち昇ってくる感情を探り出して自分で役作りするものなのに、感情表現込みで作者から与えられちゃうわけですから。

これは危ない、という気がしてきたとき、つかさんが『蒲田行進曲』をご自分で小説化した作品で直木賞をお獲りになる。そしたら、俺は小説家になるので、劇団は解散する、って。僕とか風間杜夫とか平田満とか根岸季衣とか、みんな放り出されて。突然ですよ。