加藤さんはまずサラリーマンに憧れて会社勤めをするが性に合わず、親には黙って上京。写真やデザインなど、表現の学校の募集要項を眺めるうち、中でも一番月謝の安かった俳優小劇場の養成所を受験することに。

――30人くらい採るのに300人も来てましたね。渋谷のアングラ劇場ジァンジァンのある山手教会が試験場で、面接は小沢昭一さん一人だけ。いきなり「金はあるのか?」って。つまり月謝は払えるのか、ということだろうと思って、「ハイ、あります」。それで合格。

ずっとのちに小沢さんと対談してそのことを訊いてみたら、「金のことを訊くとその人の本性が出る。人を見るのに一番手っとり早いからね」って。さすが小沢さんらしい。

それで、一年分の月謝十何万円だかを父親に出してもらうために豊浜に帰って、それ言い出したらいきなり将棋盤投げつけられてね。「そんなことを今さらやってどうするんだ」って言われて、そのころはまだそんな情熱があったわけでもないのに、「一生をかける覚悟があります」なんて言ってるうちに、だんだん本気になってきて(笑)。

それでその晩は寝て、翌日起きたらもう親父はいなくて、お袋が黙って金の入った封筒を渡してくれました。

父親はのちにすっかり理解を示して、僕が映画に出たりすると、近所にチラシを配ったりしてましたけどね。