戦争のことを初めて現実的に感じたのは、37年の日中戦争の前あたりだったかしら。大人たちが新聞を読んで、戦争になるんじゃないかと話す声が聞こえてきて。でもその前年にはベルリンオリンピックがあり、みんなで真夜中にラジオの前に集まって、「前畑がんばれ!」と応援しました。田舎ですから、ドイツがどんなところか、オリンピックがどんなものかも想像がつかない。でも、日本中が大興奮で応援しましたね。

日中戦争では、上の兄2人は年齢が上だったので徴兵はされませんでしたけど、3番目の兄だけは満洲に派兵されました。無事に帰ってきて、「夜中に銃を持って見張りに立ったら凍えるほど寒かった」「満洲で食べたフーヨーハイ(蟹玉)がおいしかった」と話してくれました。うちは明けても暮れても食べ物のことばかり。

あの時代のことで一番印象に残っているのは、33年、今の天皇陛下(取材当時。現在は上皇陛下)のお誕生。あの時はもう、のろしは上がるわ提灯行列は出るわで、町中でお祝いムード。まだまだ平和でのんびりした時代だったわね。

女子挺身隊として飛行場に勤務していた頃の、19歳の鈴木さん(写真提供◎鈴木さん)

女学校を卒業し、飛行場の庶務課に

飛行機の材料になるアルミの国内生産を目指して、八戸に日東化学工業ができたのが1939年。飛行場も造られて、そこでは200人ぐらいの若い女性が「女子挺身隊」として、板金加工や整備などに従事していました。私は女学校を卒業して、そこで庶務課に配属されました。簡単なお仕事でしたが、何かしら楽しい日々でした。

最初に赴任してきた方は陸軍大学出の大佐で、カイゼル髭をたくわえて頭はツルツル。いつも怒って頭から湯気を出していたから、「タコ」というあだ名でした。この方がなぜか私を可愛がってくれましてね。お茶をお給仕しに部屋に入ると、「おいでおいで」と手招きして、引き出しから貴重品のチョコレートやキャラメルなんかを出してくれるの。こんなものがまだあったんだわ、と思ったわ。