朝、山の上の職場まではバスで通いましたが、それが木炭バス。ガソリンは飛行機のほうに使わなきゃならないので、バスは木炭を燃やして動かすんですよ。これが山のふもとまで来ると坂を上がれなくて、ウンウンうなって止まってしまう。乗客が降りて、後ろからバスを押したりもしましたが、しまいには山道を歩いてのぼることになりました。
雪がちらついていたある日、バスを降りて歩いているとタコさんが車で通りかかって。お国のためなら、いくらでもガソリンはあったの。私の横でパッと車を停めると、「おう、乗れ、乗れ」と助手席に乗せてくれまして。道行く兵隊さんたちが私に向かって敬礼するものですから、助手席で恐縮しておりました。
戦闘機が不時着すると、タコさんのところに報告があるの。私は庶務にいましたもので、「海軍不時着!ちょっとのぞきに行かなくては」と。海軍の方って制服のマントが短くて大体素敵なんですけれど、「今日はおイモさんだったわね」なんて(笑)。戦争のつらい思い出より、年頃だったから面白いことがたくさんあって。あまり悲愴感はなかったわね。
宮様へのお給仕で 大騒ぎに
ある時、賀陽宮さま(恒憲王。香淳皇后のいとこにあたる)が飛行場の視察に見えるというので、さあ、大変。200人くらいの女の子のなかから、私がお給仕役に選ばれました。
姉の御召(上等な絹織物)をほどいて、新しくモンペと上着に仕立て直してもらいました。お草履もない時代、母がお酒の一升瓶とお金を持って行って、南部表の草履を用意してくれました。にわか仕込みでお作法のお稽古もしましたよ。なにしろ私、お作法は「丙」でしたからね。
賀陽宮さまは、風格のある素晴らしいお方でした。熱いタオルに、オーデコロンをほんのりとふりかけてお出しして。「歳はいくつ?」「どんなお仕事?」といろいろお言葉があって、「19歳でございます」「庶務におります」とお答えしました。その後、すかさず副官から、「何とお言葉を賜った?」と聞かれましたのよ。
いただいた御下賜品の菊の御紋章のついた煙草を、母は「わが家の誉れ」と神棚と仏様に上げて、もう大変でした。ご近所に一本ずつ配って、みんながありがたがって。でもあれ、最高にまずいんですってね。(笑)