幕府の中で“国主”だったのは“将軍”のみ

国主というのは耳慣れない官職ですね。これは簡単にいうと、国司の上級職です。本来は一流の貴族しかなれません。

幕府の中で国主だったのは、将軍のみ。そして相模、武蔵、駿河、伊豆の四カ国はずっと将軍が国主でした。

国主は国司を任命する権利を持っています。だから、北条氏は鎌倉幕府の滅亡まで、相模守と武蔵守を独占できたのです。

ともかく、平賀朝雅は、後鳥羽上皇のお気に入りで、武士の中で唯一、将軍と同じ格を有していました。

後鳥羽上皇のお気に入りだった平賀朝雅。仲良く上皇と碁を打っている最中に、家来から身の上の急を告げられる(『少年日本歴史読本.、第拾參編』萩野由之 編、博文館。国立国会図書館デジタルコレクション

朝雅は伊勢と伊賀の守護も兼ねていた。朝雅が失脚すると、大内惟義・惟信の父子が守護を務めた。で、彼らは後鳥羽上皇に近く、北条義時とはうまくいかないんです。