張り紙メモで、物忘れをフォローする
父の一番の楽しみは、月に一度行われる、会社の「OB会」だ。先輩や同期は、1人欠け、2人欠け、会が始まった頃のメンバーは父しか残っていない。
最年長で94歳の父、あとは90歳近くの方と、80歳が2人。その4人で、札幌駅近くの焼き肉屋で11時半からランチをする。毎月カレンダーに丸印を付けて、その日を父は心待ちにしている。
以前はメンバーの1人が、車で父を迎えに来てくれていた。しかし、その方は高齢のために運転免許証を返納したという。
今年の初め頃のことだった。OB会には、バスに乗って1人で行くと父は言い張っていた。だが、大雪に見舞われた上に、道路が凍結していて転倒する可能性も高い。心配だから私が店まで送っていくことにした。OB会の前夜、私は噛んで含めるように父に言った。
「明日、私が車で11時に迎えに来て、店の前まで乗せていくから、待っていてね」
「それはありがたい。頼むよ」
私は約束の時間に父の家に到着したが、家中探しても、父の姿はない。おまけに携帯電話を忘れていっている。固定電話と携帯電話の発信記録をチェックしてみたが、タクシー会社に電話した記録はなかった。では、やはりバスに乗ってしまったのか。
居間に貼ってあるバスの時刻表を見ると、11時前の一番近い時間は10時8分発だから、それに乗ったと思われる。札幌駅までの所要時間は20分か30分だ。10時半にはついてしまう。焼き肉店がオープンする11時半まで、雪が降る中、どうやって時間を潰しているのだろう。
94歳、認知症で、加えてもともと地下街などの雪の降らない場所を歩く習慣がない父が、どこで何をしているのか。心配でしょうがなかった。
私は直ちに札幌駅方向に車を走らせ、ランチ会が行われる店の近くの駐車場に車を停めて、父を探した。いそうな場所の筆頭候補、父の口座がある銀行にはいなかった。
しばらく歩き回って時計を見ると、11時半。もしかしたら、父は店に到着しているかもしれない。私は急ぎ足で、焼き肉店に向かった。
入り口から店内をのぞき込むと、父を含む高齢の男性たちが4人で、何やら楽しそうに話している。私は頭にカーッと血が上り、席まで走り、父に向かって怒鳴ってしまった。
「私が迎えに行くまで待っていてねって、昨日言ったよね。どうして一人で出かけるの! 雪道で転んだら大変でしょ!」
会社の後輩の前で娘に怒鳴られているのに、どういうわけか父はニコニコして私に言った。
「そうか、そんな約束をしていたとは知らなかった。おまえも一緒に焼肉、食べないか?」
「結構です! 仕事があるから帰ります!」
ひと月に一度の楽しみの日に、後輩の前で娘にガミガミ文句を言われるのは、父だって嫌だろう。私は同席した方々に自宅の住所を渡し、「帰りは店の前から自宅までタクシーに乗せてください」と頼んで、失礼してきた。
以来、約束事は、家に大きな字で書いたメモを貼っておくことに決めた。
例えば、病院に行く日なら、
「9時、久美子が迎えに来る。家で待つ」
当初は食卓テーブルの上に置いておくだけだったが、父がメモを見逃さないようにはどうしたらいいかを、義妹が一緒に考えてくれた。
使用するマジックは赤。テーブルの上に1枚置き、居間と玄関の間のドアの目の高さに1枚貼った。もう1ヵ所、バスの時刻表の上に貼り付けておけば、父が1人で出かけてしまうのを防止できるだろう。
現在のところ、メモの効果は出ていて、父は、病院でもランチ会でも私の迎えを待ってくれるようになった。私の方が、父の認知症の進行具合に合わせて、何を手助けするかを考えられるようになってきた気がしている。