認知症の薬が開発されて喜ぶ父

9月の下旬、いつも通り夕方父の家に行くと、どういうわけか父は上機嫌で私に言った。

「今日、いいことがあったんだ。おまえは、株をやらないから知らないと思うけど……」

随分思わせぶりな言い方をする。父はほんの少し株を持っているらしいが、ほとんど売買している様子はない。その割には、余程のビッグニュースがあったらしく、言いたくて仕方がない面持ちだ。

「製薬大手のエーザイの株が、すごく上がったんだ」

私は咄嗟に思い浮かんだことを聞いた。

「へーぇ、コロナの特効薬?」

「いや、違う。新しいアルツハイマー病の治療薬を開発中で、来年中にアメリカや日本で承認される可能性があるらしい」

「それは良かったね!」

私がそう答えたのは、父の認知症の治療に使ってもらえるのではないかという期待からだ。でも、父はまったく違う視点で考えていた。

「世界中にアルツハイマーの人がたくさんいるから、みんなすごく期待しているはずだ。きっとエーザイの株は、もっと上がる」

「そんなに株を持っているわけではないのに、どうしてうれしいの?」

父は呆れた顔で私を見た。

「認知症になった人たち、かわいそうだよな。家族もみんな大変だっていうだろう? 治療薬ができたら、多くの人が救われるから、良かったと思って」

あまりにシュールで、私は二の句が継げなかった。認知症になると、自分が認知症だとわからなくなるというのは、どうやら本当のようだ。

(つづく)

◆本連載は、2024年2月21日に電子書籍・アマゾンPODで刊行されました